R.I.P. Schalkefan, Matthias…

Matthias in der Weide。
この風変わりな本名を持つ彼のブログを知ったのは2008年のことでした。
そのときは『Das ist Schalke…』というタイトルで、1年に1度、チケット売出日に前日から並ぶシャルケのサポの話を書きました。
以来、シャルケのサポというと、彼が一番にイメージとして浮かぶようになりました。
試合の後は必ず彼のブログ(『schalkefan.de』)を読みに行くようになり、シャルケというチームの持つ特異性、サポとクラブの関係、試合の見方、そして苦しい時期にどうやって楽しく過ごすかを学びました。



そんな彼から初めてメールをもらったのは2010年のことでした。
内田選手がシャルケに入ったことで、彼のブログに日本からアクセスする人が増えたのだけど、ドイツ語で書かれた彼の文章のどこに興味を持ち、どういう経緯でアクセスするようになったかを知りたいので、私にインタビューをしたいというのがメールの内容でした。
軽くOKしたところ、膨大な量の質問が来てしまい、ひとつひとつに答えるのは本当に大変でした。下記に当時のインタビューについてのブログを再掲してみます。

この時のメールのやり取りの間に感じたのは、シャルケに対する彼のゆるぎない情熱でした。チームを愛するというのはこういうことなのかと強い感銘を受けました。
2011年のポカール決勝の地ベルリンで対面した時も、初めて会ったような気がしないくらいフレンドリーで明るく陽気な人でした。

亡くなる前日までTwitterでつぶやいていたのに、そのあまりに急すぎる死をいまだに信じることができずにいます。
どうか安らかにお眠りください。ご家族の方の悲しみが少しでも早く和らぐ日が来ますように。
そして、これからも天からシャルケの試合を見守っていてください。Ein letztes Glück auf.

 



 

R.I.P. Schalkefan, Matthias…」への2件のフィードバック

  1. こちらでのコメはお久しぶりです(^^)

    kameさんのtwitterで彼の訃報を見た時はびっくりしました。
    私も彼の名前は覚えてました。
    前に彼とのインタビューを書かれてたのがすごく印象に残ってたからです。

    篤人がドイツに行ったばかりの頃はなかなか情報がなく、やっと探し当てたのがここ。
    ここではシャルケの、ドイツの情報がたくさん得られて、とても助かっていました。

    篤人がドイツに渡った頃は、試合に出てもチームメイトからはなかなかボールがもらえない、
    シャルカーさん達は、マガトが連れてきたどこの馬の骨ともわからないような日本人に
    批判的で、大金を出して損した的な記事もありました。
    凹むような事がたくさんある中で、彼が篤人に、日本のサッカーファンに、Jリーグに興味を持ってくれた事がすごくうれしかったです。
    彼のお陰で日本に、篤人に少しは興味を持ってくれたシャルカーさんも、たくさんいたのではないかと思います。
    最後のツイッター画像にもあるように、彼はシャルケにとってもとても大事なシャルカーさんだったんですよね。
    きっとホッフェンハイム戦の勝利、喜んでくれてますよね。

    どうか安らかに眠れますように。

    とりとめのないコメになってしまいすみません。
    インタビューをしてくれた彼に、そのインタビューを受けて膨大な量のドイツ語と格闘してくれたkameさんに感謝してます。

  2. >ゆうさん、こちらではお久しぶりです(^^)

    マティアスのこと、本当にびっくりしていまだに信じられない気持ちです。
    私もシャルケのことをいろいろ教えてもらったのは彼のブログからが多かったので、これから彼の文章を読むことができないのも含めて、すごく無念でなりません。
    内田君のことも、試合のこともちゃんとフェアで冷静に書いてくれていて、それは貴重な存在でした。
    ほんとに彼のブログはシャルカーにも影響力もあったと思いますよー。

    見るのはニュルンベルク戦での敗戦が最後になってしまいましたが、ホッフェンハイム戦での勝利はきっと喜んでいてくれますよね(涙)
    この電光掲示板の写真、シャルケというクラブの素晴らしさ、ファンを大切にするところを表していてとても好きです。

    昨日(5日)が彼の葬儀で、流された音楽の中に「You’ll never walk alone」があったそうです。
    これからもずっと一緒にいてくれていると信じています。

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