パーダーボルンに関する10の知識

本日からのトレーニング始動を前に、ブンデスリーガ公式英語版が昇格時に【パーダーボルンに関する10の知識】として掲載したものを、Twitterで少し訳したものがあるので、加筆してBlogにも載せてみたいと思います。
(当ブログではパダボーンという表記でずっと来たので、個人的に愛着のあるパダボーンという書き方と、おそらく来期テレビなどで表記されるであろうパーダーボルンという書き方の両方を混在させる予定でいます)

【パーダーボルンに関する10の知識】

1.Backwater no longer

街の名前は、ドイツで最も短かい4キロのパーダー川とドイツ語で泉をさす”Born”、つまりパーダー川の源泉からきている。 ドルトムントからは100キロのこの町の人口は15万弱。フランスのルマンとは836年から姉妹都市で、世界最大のコンピューター博物館がある。

2.Stadium hopping

1957年から2008年まではヘルマン・レンス・シュタディオンがホームだった。熱心なサポは送電線が頭上を這うこのスタジアムをクラブの象徴として讃える。6年前から現在の場所へ移った。パラゴンアレナ、エネルギーチーム・アレナの名称を経てベンテラーアレナへ。金曜夜の試合は近隣住民の苦情で開催できない。1900台分の駐輪場がある。

3.Pillars of Paderborn

1907年8月14日、20人の友人グループがアルミニア・ノイハウスを創設。この他にFCプロイセン・パダボーン、SV07ノイハウス、TuSゼンネラガーが元になっている。1985年にTuSシュロスノイハウスは1.FCパダボーンと共にTuSパダボーン・ノイハウスに吸収される。その後1997年に現在のSCパーダーボルン07に改名された。

4.Building tradition

パーダーボルンはトップリーグでは収容者数が一番少ないスタジアム(15,000)。「確かにここはサッカーの中心ではありません」と、元監督であり、RBザルツブルクを経て今期よりレバークーゼンの監督に就任したロジェ・シュミット。「基本的にはサッカーの街ではありませんでしたが、ずっと成長し続けています。そして今は幸福感の波に乗っています」昇格後にキャプテンのマルクス・クレシェは語った。

5.On the up

1985年以来、パーダーボルンはドイツ最高のクラブの間に自分たちの場所を得るため努力を続けてきた。キャプテンのクレシェは「2001年にチームに来た時ヘルマン・レンスの観客は600人だった」と語る。その年に4部から昇格、4年後の2005年にはドチェフ監督のもと2位で2部に昇格した。

6.Schmidt goes close

降格と昇格を経験した後、2009年から2012年の間で2度5位となった。特にロジェ・シュミットのもとカウンター攻撃が冴えた。11/12シーズンは勝ち点1で入替戦に届かず、シュミットはRBザルツブルクに引き抜かれた。翌年もシュミット(ただしシュテファン)が率いたが、前任者の成績を模倣することはできなかった。

7.Coach in the fast lane

35歳でコーチングライセンスを取り、4部降格危機にあったTSVハヴェルセをトップクラスのチームに育てたブライテンライターが13/14シーズンから指揮を執った。スタメンをいじり、システムを固定しない傾向にあったためスタート時は苦労したが、前半戦で勝ち点23をあげた。

8.Breit side of life

多くがパーダーボルンは中位で終わると予想したが、ブライテンライターとスタッフはそうは考えなかった。DFをより組織された形に立て直し、後半はリーグトップの勝ち点を稼いだ。「サッカーの神様に歴史を作れますようと祈った」とMFバカロルツ。34節にアーレンに2-1で勝ってクラブ記録を作った。

9.Party-born Spain-side!

ビールをかけられながらもブライテンライターは、「昇格は運命ではなくハードワークのおかげ」と胸を張る。バカロルツは「倒れるまでパーティだ」。市庁舎前には2万のファンが集まった。さらに選手は翌朝5時にマヨルカ島へ。「パーティは若者にまかせたよ。彼らの方が経験豊富だ」とクレシェ。

10.This is your captain speaking

歴代選手では現ヴォルフスブルク監督のヘッキンクが有名だが、クラブのレジェンドはマルクス・クレシェだ。33歳の彼は2013/14シーズンの終わりに特別なメッセージを送った。「先週のことを考えるとまだ鳥肌が立つ。こんな信じられない経験を経て、素晴らしい13年にありがとうを言う時が来た」

詳しくは書かれてないですが、この他に三部に落ちて入替戦で勝って昇格したり、現ヘルタの監督であるルフカイや、グラートバッハファンなら懐かしいファッハが監督をした時代もありました。シューベルトも特筆すべき一人です。彼もユースの責任者という立場から、ドチェフ解任後に初めてトップサッカーチームの監督に就任し、翌年はチームを5位に躍進させましたが、残念ながらその腕を買われてザンクト・パウリに引き抜かれていきました。

クレシェも確かにレジェンドですが、個人的にこのクラブのヒーローの一人は今、ユースの責任者をやっているレネ・ミュラーです。私がSCPを見始めた頃のエースでした。2007年にクラブ100周年を向かえた時のJahrhundertelf(100周年イレブン)にはクレシェやミュラーの他にヘッキンクや、トーマス・ホン・ヘーセンも入っています。

写真は電線が頭上を横切っているヘルマン・レンス・シュタディオン。