8分間のシュトライヒ

フライブルクのシュトライヒ監督のプレスカンファレンスを聞くようになって、1年くらいになります。ドイツ語の勉強も兼ねてと思い聞き始めたのですが、訛りの強いドイツ語は大変聞き取りにくく、いったいこれがわかるようになったからといって、ごく標準的なドイツ語リスニングの手助けになるのかどうか怪しいものです(笑)

1年以上たった今でも、たぶん半分も理解できません。それでもわからない部分は、記事を探して補うようにしたりします。毎回、それだけの価値のあるプレスカンファレンスだと思うのです。知性とユーモアにあふれた彼の話は、時にサッカーを離れ、話題は多岐に渡り、鋭い洞察力で深遠な人生の真理に触れます。

ビーレフェルト戦を前にしたプレスカンファレンスは、特に大きな話題となりました。この節(一部第5節、二部第7節)、ブンデスリーガ一部、二部の36チームは、難民救済をうたったバッチを、ユニフォームの袖につけてプレーすることになっていました。タブロイド紙のビルト主導で行われたキャンペーンに対し、まずザンクト・パウリが拒否。ことさらにアピールをしなくとも、自分たちは日頃から様々な活動でボランティアを続けているというのが主な理由でした。その他にもウニオン・ベルリン、デュイスブルクなど二部の5チームが、キャンペーンに賛同しないことを表明しました。フライブルクもそのうちの一つです。

なぜ参加しないのか。プレスカンファレンスの中でシュトライヒ監督は、現在の難民問題に関して8分に渡るスピーチを行っています。難しい話なのですが、Bundesliga Fanaticのサイトが英語に、また地元紙がドイツ語の書き起こしをしてくれたので、補完する事ができました。シュトライヒさんが人間的に素晴らしいことはわかっていたつもりですが、内容を読んで改めてサッカー監督の枠を超えている……と驚きました。シュトライヒ監督が人々に尊敬され、愛される理由がよくわかる気がします。

感情豊かなシュトライヒ監督の口調を真似て訳すべきでしょうが、そこまでのセンスがないので、無味乾燥に(汗)まとめてみました。訛り口調がないと魅力半減ですが、それでも少しでも監督の素晴らしい人間性がご紹介できればなあと思います。
監督の等身大の魅力については、私の好きなブログでもある「爆裂☆ブンデスリーガ 蹴球の王将」をぜひご参照ください。

リンクした映像は、難民に関する話の部分だけを抽出してあります。会見全体についてはこちらをご覧ください。

(以下、シュトライヒ監督のプレスカンファレンスより)

最初から、財源のあるヨーロッパの国々、それだけではなくヨーロッパ以外の国も、もっと必要な人道的援助を用意すべきだった。そうすれば、感情や家族と結びついた故郷に、一緒に留まることができた人たちもいただろう。致命的な過ちが過去数ヶ月に起こっていると思う。問題は脇へ追いやられ、私たちのような国や他のEUメンバー、あるいはカタール、サウジアラビアなどによって資金は減らされてきた。こういう国はお金が足りないわけではないので、きわめて重大な間違いだったと思う。

今、この人たちを受け入れ、歓迎しようとしている。恐れは減らされるべきだ。物事はしばしば恐れの周辺で繰り広げられる。他者への、そして未知への恐れだ。それは自分でも気づくことができる、どこかの国に行けば。例えば私はフライブルクU19とイエメンに行ったことがある。その前にも好奇心だけでたくさん旅行をした。いつもわくわくするような何かしらの経験に出会った。ジャカルタにいるときは街角であたりを見回した。裏庭までもつぶさに観察してみた。ただの好奇心だ。起こっていることを見たかったのだ。なにか別のことを見たり、他の考え方に慣れるというのはそうだ。他文化は違う考え方をし、違う言葉を話し、別のやり方で物事に取り組む。私たちは自分たち固有の方法で社会に適合してきたため、しばしばそれ以外を想像することができない。

今、到着した彼らに会おうとしている。おそらく私たちの富のいくぶんかを、短期的に、限られた資源しか持たない多くの人々へ再配分しようとしている。それに加え、経済活動に従事している人たちは労働者が必要だと言う。私たちは技術のある労働者が必要だ。そういった職業に私は肉屋と料理人を加えるだろう。ここからそう遠くないところの一つ星レストランや、有名な良いホテルが、ある日、店をたたむ。開けておくのに十分な料理人の数が不足しているからだ。だから人々に到着を許可し、満足できる環境を提供しよう。もちろん彼らはすぐに言葉を学ぶ必要がある。労働力として溶け込むためには、言葉を学ぶ以外の選択肢がないからだ。

もし若い人たちに働くことを許可しないとしたら。シリアだろうがドイツだろうが関係ない。もし自分が30歳の時に働かせてもらえず、他の人たちと一緒にどこかに留められて、その後何年も働かせてもらえなかったら。自分は何をするかわからない。攻撃的になって他の人々と争っていたかもしれない。自分の子供に、小さなスクーターとか、そういったものを買いあたえる事が出来なくて、恥ずかしく思うだろう。私は恥ずかしく思う、人として。だから彼らに働かせ、援助のためのプログラムを開発し、社会に融合できるようあらゆることをしよう。私たちにはこの人たちが何としても必要だ。

もう少しだけ言いたい。恐れをかき立てようとする人々も、80-90%はおそらく一世代前、二世代前、三世代前は、どこか別な所からの難民や強制移住者だ。東ヨーロッパやその他の地域から、戦争や失業や貧困を理由にやって来る。この部屋にいる皆も、何世代か前を振り返ると、80-90%は移民という背景を持つ。母親や父親や曾祖父だったり。誰もがどこかからいつの時かこの場所にたどり着いた。ずっとここにいたわけではない。これは教育しなければいけない事だと思う。

私たちはどこかの時点でみな難民だったのだ。人々の移動はいつだってある。完全に止まる事は決してない。いつもそうであったように、今も起きている。第一次世界大戦、第二次世界大戦の後、八百万人がブレーマーハーフェンから船で送り出された。ハンブルクでは五百万人だ。何も持たずにだ。アメリカやオーストラリアや南米へ。人々に意識させないといけないのは、私たち自身がどこかからここに辿り着いた人間だということだ。飢餓だったり戦争だったり、いろいろだ。そしてそれがまさにこの瞬間に起きている事だ。

これで話はおしまいにしよう。名前はちょっと思い出せないが、イギリスの外務大臣が、第一次世界大戦後にヨーロッパの多くが瓦礫の山となった時にこう言った。要旨を汲むと、ヨーロッパは失われた土地となり、この先何十年間、人々が生活するに値する場所なのか、大いに危惧を抱いていると。彼は正しかった。確かに住めなかった。第二次世界大戦がすぐそこに近づいていた。彼は部分的には正しかった。第一次世界大戦後のイギリス外務大臣の言葉だ。ヨーロッパは数十年に渡り失われた土地となった。何百万人もの死と共に。最も恐ろしい出来事と共に。それがあまり前の話でない事は知っておくべきだ。

アフリカは今むずかしい。中東も大変だ。それには理由がある。多くの間違いをおかしていること。もうひとつの理由としては、もちろんヨーロッパが何世紀にも渡って食い物にしてきたことだ。こういう啓蒙はなされなければならない。おそらく見方は違うものになるだろう。

しかし私はドイツ人として、ドイツにいることをとても幸せに思う。どのみち私はドイツの国家に属している。結局はそうだ。確かにスイスの国境で生まれたが、ドイツのパスポートを持っている。この瞬間にドイツでも起きている多くのことを、私は嬉しく思う。なぜならどうにかして、何かを学ばされているからだ。一方でまたひどいこともある。しかし大部分の人々は素晴らしい連帯を示している。私はそれがとても嬉しい。