ベニテスとの6シーズン

ベニテスが監督でなければ、リバプールを好きになっていたかどうかはわからない。
特にごひいきチームもなくプレミアを見ていた頃、ウリエのリバプールには何の感銘を受けなかった。
2004/2005シーズン、プレミアが始まり、たまたま見ていたリバプールの試合は、プレミアの他のチームとはずいぶん違って見えた。
それからなんとなくリバプール中心に試合を見るようになり、気がついたらベニテスによってCLの決勝まで導かれていた。
へなへなする試合もほんとに多かったけど、CL決勝やオリンピアコス戦、FAカップ決勝、モウリーニョ率いるチェルシーとの戦いと、魂をゆさぶられるような試合もたくさんあった。いろんな意味でアップダウンの激しかったチーム。

クラブワールドカップで来日し、その大会中に父親を亡くしたベニテス。悲しいことの後にはきっと幸せが待っている。そう信じていたのに、世界一のタイトルを手にすることができなくて、私は何日も気持ちが沈んでなかなか浮上できなかった。

スペイン語なまりの英語で、リバプールへの愛情を語っていたベニテスのインタビューはPodcastを再生しては何度も聞いた。娘はすっかり英語がうまくなり、彼女のスカウスが時々よく理解できないことがあると笑っていたベニテス。

なんとなくこのままずっとリバプールの監督でいるような気がしていた。

最初にクラブがラファ離職のための条件を出したというニュースを読んだ後、TwitterでGuardianのシド・ロウが『ラファの弁護士はすきのない契約を作っている。さあ、どう使う?』という発言をしていたけど、結局、彼は『双方合意の上』、違約金を受け取ってすんなり契約解除をした。
もちろん次のクラブの当てがあったからかもしれないけど、ごたごたしないで去ることは、ラファのリバプールへの愛情が感じられてなんだかすごく悲しかった。

ほんとに好きだったよ、ラファ。
書きかけては、ちょっと泣いてしまうので、どうしてもうまく書けなくて、今日まできてしまった。

インテルにいってもあなたらしいチームを作ってください。
You’ll never walk alone.

ベニテスとの6シーズン」への2件のフィードバック

  1. 結局、ラファが起こした「革命」が生かせず、オーナーを始めクラブ全体が改革を推し進められなかったのが痛かったと思います。(それもこれも、ムーアズが目先の金に欲がくらんだ…としか思えない様な決断をしたのが、ケチのつけはじめ)
    来期は、とりあえずプレミア残留できる程度の戦力を残しながら、何人の選手を売却するか?ってのが課題でしょうか?
     
    ともかく、ラファには感謝の気持ちを持って送り出す事しかできないですよね。
    そういえば、テン・カーテは現在フリーですから、次期監督して来てくれないかな…。

  2. >I loved reds!さん、
    なんだかもう。いろいろがっかりですよ・・・。
    結局ばかフロントがアメリカ人なんかを選ばないで、中東の資本を選んでいればこんなことににならなかったかもしれないですよねえ。
    しばらくはきびしい経営が続くんでしょうか。
    まあ、ちまちまセーブしたって借金が増えるだけでしょうから、CL復帰にまさるものはないと思うんですけど、むずかしいかなあ・・・。

    テン・カーテはアシスタントコーチとしてはすごく優秀なイメージ。監督としては微妙?

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