ブンデスリーガの50年(1):カルメンとシャルケ05

1976年2月。シャルケとのダービーを週末に控え、ボーフムの監督ハインツ・ヘーへアが、凍えそうな寒さの中、夜ごとスタジアムのペナルティエリアへ水をまくところから『Matchdays』(原題 : Spieltage)は始まります。

スタジアム改修工事のため、4月以降の試合は近隣で代替されることが決まっているボーフム。もしこのシャルケとのダービーが延期になれば、おそらく4月以降、ドルトムントのスタジアムで開催されることになるはずです。そこでなら54,000人の観客が見込まれます。通常の20,000人の代わりに54,000人。400,000マルク。どうかピッチが凍って使用不可能になりますように。

そのように心配するのは監督であるヘーへアの仕事ではないのですが、朝起きて雨が降っているのを見ると、最初に思うのは「くそ、曇りの日より3,000人は減る。18,000マルク下がる」なのでした。

努力!が実り、試合は延期になりました。なぜかペナルティエリア付近だけが凍っていることは、審判団に気づかれずに。この計画に関わった4人のうち3人は、秘密を墓場まで持っていきました。ヘーへアを除いて。

79才になったヘーへアは、著作を通して好感を持っていたロナルド・レングに、連絡を取ります。レングは亡くなったロベルト・エンケに関する『A life too short』(日本語訳:『うつ病とサッカー 元ドイツ代表GKロベルト・エンケの隠された闘いの記録』)という素晴らしい本を書いています。

『レングさん、私はあなたに会わなければならない』
『どういう理由でしょう?』
『電話では話せません』
『なるほど』
『私が誰か知ってますね?』
『えーっと、実はその』
『ハインツ・ヘーヘアです』
『ああ、もちろんよく知ってます。ボーフムとニュルンベルクで監督をしていた』
『すみません。ちゃんと自己紹介するべきでした』
『大丈夫です。私はバルセロナに住んでいますが、よくドイツに帰るので、次にそこへ行ったときに会うのはいかがでしょうか?』
『わかりません』
『どうやら秘密を要する話のようですね』
『そうです。極秘な話です』

一時間後。
『レングさん、私です。ヘーヘアです』
『ヘーヘアさん』
『バルセロナへの飛行機を予約しました。この木曜日に行きます』
『この木曜日!』
『そして火曜日まで滞在します』
『火曜日!』

レングの住んでいたバルセロナに、蛍光色のリュックサックを背負ってやって来たヘーヘア。バッグの中には書類が詰まっていました。彼に関する50年分のニュース記事、彼が育成したユーリ・ユドトに関するレポート、銀行との手紙束、アルコール依存症を調べたインターネット結果。ヘーヘアはピッチに水を撒いて凍らせた秘密を暴露します。それだけではなく、この50年に起こった何もかもについて。

ブンデスリーガの歴史に関する本はいろいろあると思いますが、『Matchdays』の素晴らしいところは、選手としてブンデスリーガが誕生する瞬間を経験し、さらに監督としてその変遷に深く関わってきたヘーヘアを通して、50年の歴史を身近に描いていることです。ヘーヘアだけではなく、今では誰も覚えていないような、ごく普通の選手たちが主役の物語。実に奇妙なエピソードの数々。

この本の紹介をしたいと思っていろいろ書いていたのですが、どのエピソードも面白くてどうしても一つにまとめられないので、分割して少しずつ出していくことにしました。

サッカーが密接に社会と結び付いているため、物語にはドイツ現代史も必然的に織り込まれます。女性が社会的に権利を獲得していく70年初頭を取り上げた『Here come the women』の章。ZDFのSportstudioが、スポーツ番組で初めて女性キャスターを起用したのは1972年のことでした。

70年代初頭の女性解放運動への反発なども影響し、キャスターのカルメン・トーマスは、極端に保守的な新聞ビルト紙から強いバッシングを受けました。放送中に『シャルケ05』と言い間違えたことで、未だに業績の全てが揶揄されることも多い女性です。もともとカルメンは政治記者志望で、インタビューが先鋭的すぎたり、サッカー知識の欠如を悟られないよう強気な態度をとったことも、さらに一部で反発を招く結果となったようです。

2度目の出演でカルメンはタブーを冒した。彼女がどのように感じているかを公に示したのである。『おおかたのドイツの新聞は私がどんな風であるかはご存じですから、今夜はわざわざテレビを見る必要もないでしょう』。彼女はビルト日曜版をカメラの前に掲げた。

ミヒャエル・ベルンハルトが32ページ目に、彼女の仕事ぶりについてこう書いていた。『Das Sportstudioは男の仕事に留まるべきだ。結局スポーツというものは強い方の性のためのゲームだから』

2018年のワールドカップで、ZDFがクラウディア・ノイマンを、女性として初めてワールドカップの実況に起用しました。ZDFの英断を支持する人がいる一方、多くの批判的な意見も目にしました。それを見ると、40年以上も前、初めてスポーツ番組でキャスターとして起用された女性が、その当時どのようなバッシングを受けたか想像できる気がします。

カルメンは事前に考えていた事柄に引きずられて、言い間違えるくせがありました。たとえばシャルケ05。カルメンはインタートト杯で対戦するチーム名を間違えないようにと気を取られるあまり、ドイツの5チームという文とシャルケがつい一緒になって、シャルケ05と口をすべらせます。ビルト紙の『これだから女性をSportstudioに出すべきではない』というカルメン降ろしキャンペーンは痛烈でした。しかしZDFの編成会議では、彼女のインタビューは興味深いと、引き続き出演が決まりました。カルメンはビルト紙の攻撃の後も15か月間、Sportstudioで司会を務めました。しかし現在でも言われるのは、『シャルケ05』と間違えた女性キャスターというエピソードだけです。

2年の契約期間が終わるころ、カルメンもすっかり成長していました。契約最後の放送回となった日、ボーフムの監督だったヘーヘアが、初めてSportstudioのゲストとして迎えられます。レングの描写によると、カルメンはシャイな話し手の魅力を最大限に引き出すことに成功したようです。

番組の最後で、4か月後に3人目の子供が産まれるヘーヘアと妻のドリスに、『健康なお子さんを』と言うかわりに、カルメンはまたうっかり言い間違えて、『美しいお子さんを』と口にしてしまいます。しかしスタジオは温かい笑いに包まれました。

ヘーヘアとドリスは帰り道、子供の名前は男の子ならトーマス、女の子ならカルメンと名付けようと話し合います。子供が生まれたときの案内状には、『美しい子供』とのメッセージが添えられていました。

女性の先駆者が経験した数々の困難。苦い記述の最後に添えられたこのエピソードは、頑張る人に報いる贈り物のように感じます。カルメン・トーマスその人は、贈られたことの事実を知らなくても……。この章は本の中でも特に美しく、レングの繊細な描写に泣きそうになります。(Matchdays 1 / 終わり)