“auf Schalke”の内田選手インタビュー

バイエルン戦のマッチデープログラム『auf Schalke』に内田選手のインタビューが掲載されています。現物はないのですが、ページだけ見せてもらったので、内容を適当にまとめてみます。
来シーズンになったら、たぶん公式でpdfがリリースされたりするかもしれませんが・・・。(まだまだ先ですね)

 

Q : 内田選手、あなたのお父さんはバスケットボールの監督ですが、自分でもバスケットをやってみようと思っていましたか?

A : ないですね。幼稚園のころからJリーグでプレーしたいと思っていました。そのころはサッカー熱がすごくて、僕はいつもサッカーだけに興味を持っていました。

Q : 日本では学校で武術を教えていると聞きましたが、あなたのところもそうでしたか?

A : 僕の学校でも、剣道と柔道の授業がありました。僕は剣道に興味がありました。たぶん僕の中に侍の血が流れているのでしょう(笑)。
剣を持つのはかっこいいと思っていました。もちろんこれは本物ではなく、竹で出来た竹刀でした。

Q : 柔道や剣道をさらに続けてみようという気持ちはなかったのですか?

A : そのための時間がありませんでした。サッカー部に入り、毎日トレーニングに明け暮れていました。何かのクラブに入ると、そこでは集中的なトレーニングプランがあるのです。

Q : 日本では才能のある若者をどうやって伸ばしてくのでしょう?

A : 一つにはヨーロッパのように、フットボールクラブのユース部門があり、もう一方では、日本独特ですが、大学チームの選手とクラブが契約したりします。

Q : あなたはウイングとしてキャリアをスタートしましたが、どのようにして右サイドバックになったのですか?

A : 高校3年の時でした。当時の監督が、僕は攻撃的な動きがあまり上手くいってないことに気がつき、さらにサイドバックの選手が欠場したため、そのポジションを試すことになりました。

Q : あなたはこの夏からシャルケでプレーをしています。鹿島アントラーズでは3度リーグ優勝をしていますね。日本では満足でしたか?

A : 去年の冬、すでにシャルケで、フェルティンス・アレーナの大きさと雰囲気に強い印象を受けました。トレーニング場や施設も高い水準にありました。さらに、日本ではすでに優勝していたので、スポーツマンとして、また人間としてさらに成長するためには、次のステップの時が来たと思いました。

Q : ドイツと日本のサッカーの違いについてはどうですか?

A : 日本では基本的に、パスサッカーで対戦相手を動揺させ、打ち勝とうとします。
僕がすぐに気づいた大きな違いは、ここではトレーニングからフィジカルを強調してプレーすることです。いつもある種の緊張感があります。健全なプレッシャーの状態で、みんなフルスピードでやっています。

Q : ヴォルフスブルクの長谷部選手から、マガトのトレーニングについて何か事前に聞いていましたか?

A : はい。長谷部が助言してくれたのは、最初からいつも全力でやること、100パーセント集中すること。そうすれば問題はないということでした。こういう調整は重要で、ぼくはそれを見せることができれば嬉しいです。

Q : チームで一番付き合いがあるのは誰ですか?

A : エドゥとはよく話します。僕はポルトガル語がちょっとわかるのです。あとはベネディクト・ヘヴェデスとも仲良くしています。僕たちはピッチの上でもすぐ近くでプレーしているので。

Q : 各種の手続きなど、毎日の生活を誰がサポートしていますか?

A : エージェントのひとり、ミヒャエル・フランクがよく助けてくれます。彼はかつて10年間、シャルケのユースで監督をしていたので、クラブとも関係が深いのです。

Q : ドイツでの生活はどうですか?

A : ほんとにごく普通です。僕は1カ月以上前に今の家に引っ越しました。車と運転免許証も取ったので、あちこち動けます。さらに家政婦さんが週2,3回来て食事を作ってくれます。そのほかの点では、自宅の近所に食べに行くのも好きです。
ドイツの食事はおいしくて、当然、それは僕にとっても大きなメリットがあります。

Q : こちらに住むにあたって大変なことはありましたか?

A : ここではすべてがとてもうまく始めることができました。ただし、寒さには煩わされています。それとドイツのロータリー交差点。あれは日本にはありません(笑)。

Q : チームメイトとはどうやって意思の疎通を図っていますか?

A : ドイツ語はもちろん勉強していますが、まだ普通に会話をする程ではありません。ただ、英語やジェスチャーで問題解決をするよう試みています。例えば、戦術的な話合いをするときは、もういちど同僚にゆっくり説明してもらったりしています。

Q : 故郷とはどのように連絡を取っていますか?

A : 友達が2度訪ねてきました。それ以外には電話やインターネットを通じて、定期的に家族や友達と連絡を取っています。遠く離れているので、限りがありますが。

Q : 一番恋しいものは何ですか?

A : 自動販売機(笑)。本気で。日本には100メートルごとに自動販売機があるのです。ここにはほとんどありません。

Q : ドイツにあって日本にないものは何でしょうか?

A : それもすぐに思いつきます。速度制限のないアウトバーンです。

Q : 22番という番号に特別な意味はありますか、それともただの番号でしょうか?

A : 鹿島ではチームメイトの名良橋選手から2番を受け継ぎました。その番号は僕にとって確かな意味がありました。シャルケに来たときに22番をもらったので、ちょうどよかったです。

Q : BVBの香川選手やボーフムのテセ選手と連絡を取り合っていますね。日本でも一緒に成長してきたのでしょうか?

A : 真司はオリンピック代表で一緒にプレーしていたのでよく知っています。ボーフムは遠くないので、テセとは頻繁に食事をしたりします。日本でも知っていましたが、ドイツでは意識して連絡を取っています。

Q : 日本でのプロデビューから16日後には、17歳で初めてのゴールをあげました。シャルケではいつになるでしょう?

A : もちろん、ゴールについて100パーセント約束をすることはできませんが、僕はできるだけ早くゴールをしたいと思っています。ただ、いま最も大切なのはチームを全体として助けることであり、個人の望みはそばに置いておかなければいけないということです。

 

“auf Schalke”の内田選手インタビュー」への4件のフィードバック

  1. ありがとうございます。見たかったんですよぉ。
    シャルケ公式で知って、「ほしい~」って騒いでたら、ドイツに行ってる友達の旦那さんが、
    「どこに行けば買えるの?」って聞いてくれたんですけど、試合が終わったあとでした。がっくし。。。

    「自動販売機」がないことを根に持ってますね。「本気で」って。。。(笑)
    アシストしましたから、ゴールを期待しちゃいますよねぇ。
    チームの勝利が一番ですけど、地味に狙ってもらいたいです。

  2. もちろんドイツ語から翻訳してくださったのですよね。ありがとうございます。
    日本のマスコミの情報は偏っていることが多いので、私にとってkamecaveさんのブログは本当に貴重なシャルケとの架け橋です。(こちらに訪問されるみなさんもきっとそうだと思います。)
     
    シャルケのHPにはドイツ語のほかに英語とロシア語ページがありますが、内田選手がもっと活躍すれば日本語のページもなんてことはあり得ないでしょうか・・・

  3. ホントにホントにいつも有難うございます。

    最初の頃はどうなることかと思っていた内田君。
    こうやってマッチデープログラムの表紙を飾れるようになって、感無量です。
    シャルケとともに、このまま上昇してくれるかな。

  4. >kyokoさん、
    マッチデープログラムって、その日しか入手できないから厳しいですよねえ。
     
    自動販売機がかなりお気に入りみたいですねー。
    もうドイツで自動販売機を仕入れる会社でも作っちゃえばいいのに(笑)

    ゴール、そろそろ見たいですよね。
     
    >みっきーさん、
    いえいえ、なんか適当なものですが(汗)。
     
    シャルケの公式サイトは今はドイツ語、英語、ロシア語だけですね。
    ボーフムで小野選手がプレーしていた時、ボーフムはちゃんと日本語ページを作ってくれていて、それがかなり充実していたので、シャルケでも作ってほしいものです・・・。
     
    >きゅうさん、
    最初の頃はほんとにどうなることかと思っていましたよねえ。

    >マッチデープログラムの表紙を飾れるようになって
    ほんとですね。しかもバイエルン戦で!
    これからもどんどん登場してほしいですよね!

コメントは受け付けていません。