思い出に浸る夜

1月4日、オシムが成田空港から帰国しました。
見送りに行けなかったことはつらいけど、心から彼を愛している人たちがその場所にたくさんいてくれたことに本当に感謝しています。黄色い人たち、どうもありがとう!

個人的にいつもとても素晴らしいと思っているジェフサポの方々のレポートをリンクします。

以下、どっぷりと個人的な思い出話。

私は1990年頃からサッカーを見ているのですが、自分のサッカー観戦歴の中で一番濃厚で、かつ影響を受けたのがオシム時代のジェフでした。(私がオシムというときはイビツァのことです。アマルはアマルと表記)
2003年から2006年の6月まで。最後の試合はナビスコのセレッソ戦でした。

最初はテレビ、そのうち試合が見たくて横浜から臨海に通い始め、さらに練習試合やトレーニング見学と、仕事以外の時間はただただサッカー漬けの生活でした。

90年イタリア大会からサッカーにはまった人間にとっては、オシムは特に伝説のような人でした。決勝トーナメントに入ってからのユーゴ対スペイン、ユーゴ対アルゼンチンはよく覚えています。

それが臨海のあのスタジアムで指揮をとっている。今思うと笑っちゃうくらい不思議な話です。

そのうち公式戦だけではあきたらず、トレーニングゲーム(TG)のスケジュールが合うと、それも見に行くようになりました。
オシムの時代には必ず週の間にTGが組まれていましたし、代表戦などで試合のない週にもどこかでTGをやっていました。
とにかく見ていて面白かったのです。試合中毒になりそうでした。

彼はまた、トップの試合だけでなく、サテライトの試合の見学にもよく現われました。
これは小机で行われたマリノス・サテライトとの試合に姿を現したところです。この当時、マリノスの監督は岡田で、二人が仲良く話をしている姿も見られました。

2005年、ナビスコカップで優勝。ジェフが初めてタイトルを手にしたのもオシムがいたからこそだと思います。
胴上げ、最後までできなかったよね・・・。

秋津にはよくTGを見に行ったものでした。
手前には選手が作ったオシムの顔の雪像。怖がられているようで、ほんとにみんなから慕われている人でした。

これは姉崎のグラウンドで。
練習を見学するのも面白かったです。その密度の濃さ、目的意識、選手たちの取り組み方がとにかく真剣でした。

オシムが代表監督になったとき、ジェフサポとしては本当につらかった。
これについては当時、いろいろ書いているので、もうここで言うことはありませんが、あの痛みは今でも忘れていません。

ジェフでの3年半を見ていると、年々チームが進化していくのがわかりました。(もちろん、西部さんの『犬の生活』のような解説付きで理解している面もありましたが)
長いスパンで、今年はどこまでを指導し、その先にこれをやるというプロセスを描ける人だったので、あのまま続けていれば、4年後、どのような日本代表が見られたのか。それも、今となっては見果てぬ夢になってしまいました。

すみません、オシムのことを考えると、ぐずぐずと感傷にとらわれてしまうのでこのへんでやめることにします。

本当にオシムが大好きでした。
いつかまたあなたに会える日が来ると信じています。今はとにかく健康に気をつけて、サッカー観戦もほどほどに・・・。