Moritz Volz : ロンドンの男(生活編)

現在、ザンクト・パウリでプレーしているモリッツ・フォルツはシャルケユース出身で、彼が16歳の時、アーセナルへ移籍しました。
1999年のことで、ドイツでは子供がサッカーで大金を稼ぐなんてと社会問題にまで発展するほどのニュースだったようです。

そのフォルツがこのたび本を出しました。

タイトルを直訳するとロンドンにいる我らの男、なのかなー。タイトルはイギリスの作家、グレアム・グリーンの『ハバナの男』(Our man in Havana)というスパイの話から来ているのではないかと勝手に想像。(『ハバナの男』はハバナ在住の男が英国諜報部員からスパイの話を持ちかけられ、どうせわからないだろうと適当な情報をでっち上げていくうちになぜか重大な関心を引くようになり・・・というお話です)

ドイツ語ですが比較的わかりやすい文章なので読みやすいです。たまに全く理解できない章があったりしたので、そこは辞書を頼りに。

最初に奥さんのAnnekeにあてて献辞が書かれていますが、『キミはぼくのスコーンにかかったクロテッドクリームだよ』

Du bist die clotted cream auf meinem Scone.

というのが何とも素敵。

本の中でもSahne-und-Butter-Junge(生クリームとバター大好きっ子)の彼がいかにクロテッド・クリームのかかったスコーンが美味かを語り、さらに最初にマーマレード、その上にクロテッドクリームをかける作戦を発見して喜んだりするところは読んでいるだけでスコーンが食べたくなります。

10代で渡ったロンドンでの生活はドイツ人の彼にとって、カルチャーショックなことばかり。その中でフォルツは持ち前のユーモアと父親から教わったモットー、

Hauptsache, die Pointe ist gut!” (重要なのは良いオチ!)

を通して、いろいろな体験をつづっていきます。
あれこれエピソードを拾っていたら長くなったので、2回にわけます。最初は生活編。2回目はサッカー編。

ドイツから来てすぐの頃には、アーセナルのユースの子たちにHe-manというあだ名をつけられたり、『爺さんはきっとヒトラーの殺人マシーンだったんだぜ』と言われたり、食堂でいじめにあったりと、英語を話すことへのためらいもありいつも胃のあたりがきゅっと圧迫されるような毎日だったようです。
チーフスカウトのSteveが彼をたびたび遊びに連れ出し、年の離れた友達となってくれて、ようやく楽しむということやイングランド特有のユーモアを理解するようになります。

イングランドのお茶についての話もいかにも!って感じで面白いです。
彼はお茶会に呼ばれると少し落ち着かない気持ちになったそうです。というのも、カフェオレボールにミルクをどっさり入れて紅茶を飲むのが好きなのに、そういう飲み方をすると友達のSteveは、カフェオレボールで紅茶を飲んじゃダメと怒るし。

Du darfst Tee nicht aus französischen Kaffeeschalen trinken!

さらにあれこれ注意されたり、また人によってお茶の流儀がみんな違うので、どれが正しいやり方なのか困惑したりしたようです。
曰く、お茶は2分と15秒間、味を出させなければいけないとか、いや短すぎるから少なくとも3分30秒とか、ミルクは少しずつたらしなさいとか、ゆっくりかきまぜなさい、ミルクをだーっといれるのではなく、最初にカップにミルクを入れて、それからお茶を入れなさいとか(笑)

Jeder Engländer, den ich fragte, sagte mir etwas anderes:Den Tee nur zwei Minuten und 15 Sekunden ziehen lassen. Oh Gott, niemals so kurz, mindestens drei Minuten dreißig muss er ziehen! Moritz, um Gottes willen, was machst du, die Milch immer nur tröpfchenweise in den Tee. Doch nicht so! Langsamer umrühren, Stopp! Niemals die Milch in den Tee schütten, sondern immer zuerst die Milch in die Tasse, dann den Tee.

 
新聞についての考察はたとえばこんな感じです。
おそらく読む力がついて行くにつれ、新聞に対する印象もどんどん変わってきたりしたのでしょう。

デイリースターやサンやミラーはよくアーセナルのクラブ食堂に置いてあった。派手な色の新聞見出しやヌード写真の中で、デイリーメイルは白黒でライオンとユニコーンの紋章が付いたレイアウトだった。クオリティペーパーのガーディアンやテレグラフはボキャブラリー的にまだ隔たりがあった。行儀のよいドイツの子供だった僕はイギリスの大衆紙は触るだけで病気になりそうだという偏見を持っていた。そんなわけで僕が定期的に読むようになった最初の新聞はデイリーメイルになった。僕はデイリーメイルのことを真面目な新聞だと取り違えていたのだ。

デイリーメイルは見出しに感嘆符を一切使わない。それはまるで決定した事実のみを扱っているような見せかけを与える。新聞は冷静で、真面目。そして怒りを掻き立てる以外のなにものでもない現実をとりあげる。デイリーメイルはいつでも反対した。アンチ・EU、アンチ・移民、アンチ・全て。動物にだけは優しいが。ある時には『ペンギン・パラダイス』という見出しが、世界の人びとに関するたくさんのひどい短信のあいだにはさまっていた。

僕がようやく理解したのは、デイリーメイルには全くと言っていいほど皮肉が欠けているということだった。サンやミラーといった悪魔のような新聞はまったくもって滑稽であり、ほとんどの場合、見出しにおいてはユーモアたっぷりの言葉遊びがある。それに対してデイリーメイルはすべてにおいて激しい怒りを交えた真面目さがあった。

 
彼はまたフラム時代、自転車で通勤するサッカー選手として一躍メディアの人気者になります。
彼が乗っていたのはトレックの折り畳み式自転車。それで生物学の授業を受けに行ったり、プレミアの試合に行き、道の途中ではファンにベルを鳴らして挨拶したりしていました。

数か月もたたないうちに、フォルツの自転車は彼よりも有名になります。テレビ局の取材や、サッカー雑誌のFour-Four-Twoへの掲載、さらにFAカップの試合にウェンブリーまで自転車で行くという企画がたったりします。
やはり皆にとってたくさんお金を稼いでいるプロのサッカー選手(しかもドイツ人)が自転車で通勤するという構図が面白かったのでしょう。

それをきっかけに、彼は『愉快なドイツ人』という位置づけを確立します。さらにインターネットの自分のサイトに英語で答えたりしているうちに、Times紙からコラムを執筆する依頼が来たりしたのでした。

Die Rolle, in die mich die Medien als Mann auf dem Fahrad drängten, bot mir die Chance, den Spaß an meinem Beruf wiederzuentdecken. So wurde ich der lustige Deutsche.

(自転車に乗る男というメディアが押しつけた役柄は、僕に自分の職業についての楽しさもっといろいろ発見するチャンスを与えてくれた。そして僕は愉快なドイツ人になった)

 
19歳でロンドンに家を買う話も楽しいです。
全然その気もなかったのに、チームメイトに熱心に説得されるうちにあっさりその気になって買ってしまうところがかわいいです。
彼は料理も大好きで、日本料理店に4日間、修行?に行った話や、Timesにクリケットが全然理解できないと書くと、クリケット協会から試合への招待を受けたりします。普通のサッカー選手ではなかなか経験できないエピソードがたくさん出て、ほんとに面白いです。
フォルツは結局10年、ロンドンに住んだのですが、外国人選手が他国で生活を楽しむということや、文化の違いを冷静に観察し、最初は苦労しながらもその国に受け入れられ、みんなに愛されるようになっていく過程はとても興味深いものでした。
(サッカー編に続く)