Archive for the 'Radsport' Category

03 13 2015

70-80年代・ブンデスリーガでドーピング疑惑

Published by under 1.Bundesliga,2.Liga,Radsport

先週のドイツにおけるブンデスリーガのドーピング騒動について日本ではあまり報じられていないようなので、わかる範囲でまとめてみました。(画像と内容に直接の関係はありません)



ドイツサッカー界を揺るがしたこの問題は、フライブルク・スポーツ医学調査委員会のメンバーであるアンドレアス・ジングラーが、3月2日に単独で出したプレスリリースが発端となっています。ジングラーによると、1970年代から80年代初頭、ブンデスリーガでドーピング禁止対象薬物であるアナボリックステロイドが、組織的に投与されていたとされる証拠を委員会が発見したというもので、具体的にVfBシュトゥットガルトと2部時代のSCフライブルクの名前をあげています。

さらに当時、フライブルクの医学界で指導的存在だったKlümper医師が関与していたことにも言及しています。
証拠となる資料は60ページほどで、フライブルク市公文書保管所から2014年の終わりに委員会に手渡され、2015年の1月から閲覧することができたようです。

調査委員会のレポート自体は元々2015年秋頃をめどに完成を目指していましたが、ジングラーのリークともいえるプレスリリースによって、未完成のまま注目をあびるようになりました。委員会のリーダーである刑法学者のパオリは、すぐにプレスリリースを出してジングラーの独断を批判、しかしながら同時に、彼の発表した内容に関しては正しいということを認めました。

今回問題となっているサッカー界での事件は70年代から80年代ですが、それよりも最近の90年代には、ドイツ全土を揺るがした自転車ロードレース界でのドーピング事件がありました。T-Mobileの前身であるドイツ・チームテレコムに対し、フライブルク大学病院のゲオルグ・フーパー医師などが、ドーピングを監視する立場にありながら自ら禁止薬物を自転車選手に与えていたというものです。ツール・ド・フランスで活躍したヤン・ウルリッヒをはじめチーム・テレコムの主要な自転車選手のドーピングが判明したことで、ドイツでは今に至るまで自転車ロードレースは壊滅的なダメージを受けています。(『広がるドーピング汚染 』 熊谷徹さんの2007年の記事より)

もともと調査委員会は、このような組織的なドーピングの舞台となったフライブルク大学の医学部門を徹底的に検証し、事実を洗い出すことを目的に設立されました。ジングラーのプレスリリースには、サッカーと同時に、ドイツ自転車連盟(BDR)が組織的にドーピングに関与していた証拠が見つかったことも書かれています。

3月2日の報道に対し、名指しされたクラブの一つシュトゥットガルトは、すぐに公式サイトで声明を発表。内容をまとめると、現時点でこのレポートの詳細なものは入手できていないのでコメントできないこと。また年度が古く検証が困難であり、Klümperがチームの医師であった時期はなく、しかしもちろんクリーンなスポーツであることを明確にするためにこの問題に関心を持っている、というものです。

なおSCフライブルクは今のところ公式の声明は出していないようです。シュピーゲルはドイツサッカー連盟とSCフライブルクが書類の閲覧を申し出たけれども、現時点では委員会に受け入れてもらえなかったと報じています。

なぜジングラーが単独での発表に踏み切ったのかという背景はわかりません。パオリによると、調査委員会はこれまでにもフライブルク大学の一部から数々の妨害行為を受けていたそうですが、そのあたりの大学側と委員会の駆け引きにかかわることなのかもしれません。

自転車でのドーピング問題については過酷とも言える姿勢でのぞむドイツですが、ことサッカーにおいては及び腰です。自転車ロードレースにおけるドーピングに対し、ドイツのマスコミがどのように失礼な態度で取材するかは、以前にシュピーゲルのインタビューで訳したことがあります。(「シュピーゲルの自転車に関するインタビュー」
また、サッカーにおいてこれまでに様々な噂があったけれどもうやむやになってきた経緯については、Zeitが興味深い記事を書いています。結論はタイトルそのままです。
「サッカーはあまりに巨大で失敗することが許されない」

いずれにしても調査委員長のパオリは現時点で完成していないレポートを公表するつもりはないと言っていますので、一瞬にして過熱した報道は急速に収まりつつあります。

ドーピングを取り巻くサッカー界の現状についても少し触れます。

NADA(ドイツ・アンチドーピング機構)によると2013年にブンデスリーガのプロ選手500人に対し行われた血液検査は39回。尿検査が534回。一方で自転車競技ではNADAが255回の尿検査に対し261回の血液検査を行っています。
国際大会でも似たような数字で、WADA(世界アンチドーピング機構)が500人のプロサイクリストに309回の血液検査を行ったのに対し、サッカーでは173回。
メッシがドーピングコントロールで尿検査と血液検査の両方を要求されたことに対し激怒したという報道がありましたが、ドーピングに関していうと尿検査だけでは十分ではないことをZeitが記事にしています。

UEFAが来年からバイオロジカル・パスポート(生体パスポート)を導入するという報道もありましたが、依然として他のスポーツ、特に自転車競技に比較するととてつもなく検査体制が遅れている印象があります。
サッカーにはドーピングの効果が表れにくいので違反者も出ないという説もよく聞きます。今回もシュトゥットガルトのスポーツ・ディレクターであるドゥットが「ドーピングはサッカーでは意味がない」(Doping im Fußball – Die große Verblendung”)と発言をしました。
しかし残念なことに、現時点であまり効果的ともいえない検査でもドイツサッカーの下部リーグでは、昨シーズンくらいからB検体で陽性反応を示して禁止薬物が検出される選手もで始めています。

 





私は自転車競技も好きなのですが、自転車競技と同じ基準でサッカーのドーピング検査を行ったら、いったいどのような結果が出るのだろうという興味はあります。
ちょうどこのブログをアップしようとした数時間前に、UEFAの医療委員会が新ドーピング検査手法を承認したというニュースも出ました。

ただし自転車の世界でのドーピングを見ると、いまやバイオロジカル・パスポートですら検出できないマイクロドーシングへと移行しているというレポートも出ています。(“The UCI publishes Cycling Independent Reform Commission report”のCIRCレポート参照)

いずれにしても、フライブルク医学調査委員会が最終報告を出すまでこのドーピング疑惑がクリアになることはないので、気長に続報を待ちたいと思います。

 

2 responses so far

07 25 2012

ARDのフォイクト・インタビュー

【Jens Voigt Interview at ARD】

Published by under Radsport

2012ツール・ド・フランスが閉幕しました。
今年も用事で出かけている時以外はすべてのステージをテレビ観戦しました。
初めて見た昨年に比べると、どこに集中して、どこで流せばいいかがなんとなくわかったので、ツールが終わった後に疲労困憊で夏バテ・・・という状態にはならなかったわ。よかった(笑)

下記、ARDのサイトにドイツの自転車選手であるイェンス・フォイクトのインタビューが掲載されています。
記事自体は7月18日にアップされたもので、それから多少時間がたっているのですが、大変素晴らしいインタビューだったのでちょっとまとめてみました。
なぜフォイクトの走る姿がこれほどまでに人々を惹きつけるのか、ということがよくわかるインタビュー内容でした。

禅問答のような答えが多くて訳すのが難しく、日本語自体もかなり変な上に内容もあやふやだったりしますが、私がインタビューを読んだ時の感動が少しでも伝わるといいなあ・・・と思っております。(あと個人的に『オレ』という一人称が苦手なので『僕』になっていますが、フォイクトさんのイメージでなかったらごめんなさい)

Q: フランク・シュレックが薬物検査で陽性だったというのを知ったのはいつですか?

A: 僕たちは火曜夜の食事中に知った。フランクは途中はまだ家族と一緒にいたと思う。それからチームのマネージメントが来て説明をした。ニュースを飲みこむのとそこから導かれる結果を考えるために、その一瞬は時間が止まったよ。

Q: どういう結論に達しましたか?

A: 空虚なものを感じたよ。チームでなにかが起こると、簡単な状況というのはありえない。

Q: フランク・シュレックはチームメイトなだけではなく、友達でもあります。A検体の異常については説明ができますか?

A: いや。僕自身もおそらく彼と同じように驚いている。今はB検体を待ち、フランクが何と言うかを見るよ。友情は陽の当たっている時だけではなく、雨の時にも続くんだ。可能であれば、フランクと話す。ここで何が起こったのか、僕は彼から知りたい。これは気が滅入りそうなニュースだからね。何もなかったような振りは僕にはできない。黙っていることが解決法ではない。でも僕は彼を信じている。

Q: 世間の大部分が肩をすくめて、また?と言うのは理解していますよね?

A: ええ。だって僕もそう感じているから。過去5年間、僕がずっと望んできたことは、静かで平和なツール・ド・フランスを経験したいということだった。レースだけに集中して、山岳での見ごたえのある戦いやタイムトライアルを提供し、マイヨ・ジョーヌを着た素晴らしい勝者を賞賛すること。その代わりに毎年僕たちは不愉快な側面を見てきた。本当にひどいことだよ。

Q: それはすでに1998年のあなたの最初のツールでもありました。フェスティナ事件。

A: もちろん。ぼくの最初のツールだった。当時、いったいここでは何をやっているだ?みんな頭がおかしいんじゃないのかと思ったよ。

Q: 自転車選手のイメージは特にドイツでは長い間、地に落ちたままです。個人的にどのくらい会ったことがありますか?

A: はっきりしている。ドーパーは僕たちが気に入ることは全くしなかったよ。僕はまた、二度目のチャンスの大ファンというわけではないからね。ドーパーは本当に僕を傷つけた。僕はとても長く、実り多いキャリアを積んでいる。でももちろん背中ごしに人々がささやく声も聞こえる。フォイクト、フォイクト、40歳でもまだここにいるね。僕の心が汚されたことを信じられない?明らかにそれはくだらないことだ。

Q: でもあなたの戦う精神に多くのファンが感銘を受けています。

A: 彼らが僕を好きになるのは僕がいつも忠実であるからだ。いつもそこにいるからだ。才能のある人間ではないし、ファンキーな若者でもない。僕はいつだって僕だった。誰もが来て去っていく。僕は違う。僕は幸いなことに、自転車は働く者のためのスポーツだと早くに知った。たくさん働けばもっとうまくなる。最後に才能、資材、技術、栄養といったものが来る。

Q: 40歳になることを自分で信じられますか?

A: こうはプランしてなかったのは確かだね。僕は本当に多くのものをレースにつぎ込んできた。卓球をするのとはわけが違う。僕の体には25個ものボルトやねじが埋まっている。だいたい110針くらい縫ってるし、8回骨折をした。たぶん、僕はこれまでに1平方メートルは皮膚を取り替えてるね。

Q: 15年もツールに居続けたことは何なんでしょう?

A: ツールは感情の万華鏡だ。それは僕が最初のツールの時、ポーで2位になって山岳ジャージを受け取ったときと同時に始まった。翌日、落車して、タイムを30分とジャージを失った。だけどそれからシャンゼリゼの周回に来た。
君がゆっくりと漕いで登っていくと、道端の100万もの人々が拍手と歓声をあげる。凱旋門は目の前に見える。そこで考えるんだ。まさにこのためにしていると。さらに何を?
2001年、最初のステージでマイヨ・ジョーヌを、2006年にはふたたび黄色いジャージを、2008年にはカルロス・サストレと共にツールを勝ち、チーム総合優勝を飾った。
9人の仲間がみんなパリまで来たことは素晴らしかった。こんなことはそうは起こらない。15年でたぶん2度か3度の経験だね。それがクライマックスだ。これより良いことはそうはないだろう。

Q: 2009年にひどい落車。

A: ああ、そう、そうだ2009年。幸いなことにそんなに覚えてないんだ。思い出そうとしても思い出せない。

Q: なぜ急にまだこれからも続けようと思ったのでしょう?

A: 僕は自分を知っている。生きている間はずっと自分に不満を抱き、どこかへ永遠に走り去ってしまう人のような気がしている。そんなことはしたくない。
僕は気難しい年寄になりたくないし、何が起こるだろうとか、いつ辞めるんだろうとか、そんなことをくよくよ思い悩みたくない。

Q: つまりツールでいつか、あなたはもう希望を失ったと決めるのでしょうか?そのときはすでに?

A: 月曜日は僕がそう考えた日だった。パリにどんな風に行くべきなんだろう。一日中、上がったり下ったりした。どのステージなら見つからないでいることができるだろうか?
勝つために前で走り、後ろにいて生き残るような毎日。誰もが誰のことも待っていない。組織もなく、グルペットもない。つまり、自分で救うしかないのだ。これまでの日々が最高に素晴らしくなかったなら、きっとものすごく苦しむだろうね。

Q: どんな時でもギブアップするというのはあなたの頭にないのでしょうか?

A: 時々は考えるよ。小さくていかした鎖骨骨折がそれほどひどくなくて、乗り続けるときとかね。

Q: ステージではお互いに元気づけたりするのですか?

A: やっているね。最後の週にはライダー達の間で尊敬の念がどんどん大きくなる。一緒に苦しめば苦しむほどしっかりと結びつくんだ。国籍もチームも宗教も関係ない。ただこれはツールの間だけだ。

Q: あなたの役割は年を重ねるごとに変化してきましたか?今はもっと責任も与えられていますか?

A: もちろん。15年のツールでの参加でわかったのは、いつもさらに先へ行くということだ。
そしてきみが考えるように、今では壁のそばだ。理想的なケースは完結した循環円のようなものだ。キミが若くて経験もないなら助けが必要だ。
その円の中でトップスリーになった時にむくわれ、結果がもたらされる。その瞬間、キミはエゴイストになる。与えられた時にはもっと取る。最後に円は再び閉じてきて、キミは取るよりももっと与えることになる。僕が若いプロ選手だった時にはサポートを受け取り、今はそれを還元している。
理想的なケースでは与えることと取ることの収支は最後にはつりあうだろうね。

Q: その円は今年はまだ閉じてないと?

A: ついこの間、ファンがひとり、山で僕の後ろを走りながら叫んだ。『イエエエエンス、あと15年契約して。まだあなたから十分受け取ることができるよ』
それで考えた。キミたちは頭がおかしいのか?でも1年なら僕はまだ喜んで延長するだろう。

Q: なぜ?なにが心残りなんでしょう?

A: 何か見つけようと思ってこう考えてみた。僕はうまくやり遂げた、世界でも数少ない幸運に恵まれた人間のひとりであり、僕は(A)どの点において良かったか、(B)何が楽しかったか、(C)僕は自分の仕事のために何ができたのか、ということをね。そしてこんなことはそんなにはないことだと思った。
僕はラッキーですべてがうまくはまった。だからいつも比較的簡単に続けることができたんだ。

Q: あと1年延長するとして、あなたは16回目のツールに挑戦しますか?

A: もちろん自分のポジションを自発的に譲り渡すことはしない。ただ体は若くはならないし、簡単なことではないけど。

Q: で、夏の間は何をするつもりですか?

A: 僕の庭でグリルをするのがどんなに素晴らしいことかご存知かな?最高だよ。朝は早く起きて釣りに出かける。家からパンをもってきて、朝食。それからトレーニング。午後はグリルをほうり出して、テレビでツール・ド・フランスが始まるのと全く同じ時間に、お皿に乗った大きなステーキとグラスに入ったビールだ。想像できるね。

Q: みんなツールをテレビで見ていたのでしょうか?

A: だと思う。

Q: 他に望みは?人生には?

A: あるよ。でも僕には人々が疑うことが理解できない。
僕が辞めていたら、自転車にもう一度触ることは決してなかっただろう。僕の心はサルになっていたはずだ。脂ぎったチェーンを巻いた自転車は蜘蛛の巣だらけになる。1年に2回くらいはアイスクリームのために乗るよ。

フォイクトさん、来年もぜひあなたの姿をツールで見たいです!

 

ARDのフォイクト・インタビュー はコメントを受け付けていません。

09 12 2011

デヴィッド・ミラー『Racing Through The Dark』を読んで

【David Millar : Racing through the dark】

Published by under Radsport

私がサイクルロードレースにハマったきっかけは映画『Blood, Sweat + Gears』を見てからですが(『サイクルロードレースにハマる』参照)、その映画で同時にガーミンの選手であるデヴィッド・ミラーのファンにもなりました。

そして今年のツール・ド・フランスが始まって数日後、6月に発売されたミラ-の自伝『Racing Through The Dark』がAmazon UKの書籍部門全体の売り上げでベスト20に入っていることを知りました。一人のスポーツ選手の自伝が書籍総合売上でベスト20以内に入るというのはやや異例のことです。
すぐに買って(Amazon Japanでも入手できます)、会社の行き帰りにぼちぼちと読み続け、8月の終わりにようやく読み終えることができたので少し本の内容について紹介してみようと思います。
(以下、引用符内の日本語訳はわかりやすいように私が適当につけました)

デヴィッド・ミラーはイギリス(スコットランド)のプロサイクリストで、20歳でプロデビュー、2000年にはツール・ド・フランス第1ステージの個人タイムトライアルでツール初出場にしてランス・アームストロングを押さえ優勝。3日間マイヨ・ジョーヌを着ました。
また2003年のロード世界選手権では個人タイムトライアルで優勝し、さらにイギリス人としては初めて三つのグランツールでリーダー・ジャージを着ます。

将来を嘱望された選手でしたが、2004年警察の捜査により彼の自宅から空の注射器が見つかり、本人も2001年から2003年の間に禁止薬物であるEPOを使用したことを認め2年間の出場停止処分を受けます。

デビュー当時、すでに自転車界を覆っていたドーピングの黒い影に反発し、自分はクリーンに勝ちたいという理想に燃えていた若きミラーが、いかにして勝利への重圧やチームからの暗黙の示唆に負けてドーピングに手を染めるようになったのか、また自らの凋落をどのように受けとめ、それを償うためにいかにしてあがき、再び自転車に乗る喜びを取り戻していったのか。
『Racing Through The Dark』の中でミラーは自分を飾ることなく、また自らの罪を隠すことなく、その時々の心理を率直に語っていきます。

世間を知らないままプロサイクルスポーツの世界へ放り込まれた未成熟な少年は、若さによる気負いもあって過剰なくらい理想を追い求めます。

そんな中、ミラーはプロ契約したフランスのチーム、コフィディスで様々な現実を目にします。
“自分はドーピングをしないでクリーンな選手として勝つのだ”という決意をサポートしてくれる体制もないまま、2001年のツール・ド・フランス、ミラーはアルプスのマドレーヌ峠を登りきったところでリタイアしてしまいます。

 

While it was a massive relief, there was now also a gaping hole in my confidence. Everything I’d previously achieved meant nothing; all I was now was a pro rider who couldn’t finish the Tour de France. (p.152)

大きな救いはあったものの、私の自信にもぽっかりと穴が開いていた。これまでに達成したすべてのことが意味をなくしていた。今の私はツール・ド・フランスを終えることのできなかったプロライダー、それがすべてだった。

 
チームのエースとしての責任を果たせなかったこと。ツールをリタイアしてしまったこと。
自信を失い深く傷ついたミラーにチームのle Boss(ボス)はこう持ちかけます。

 

‘We thought you could go to Italy, stay with…’ he turned and gestured to l’Equipier. ‘Stay at his place there. Get out of Biarritz in August.’ There was a pause. ‘That would allow you to … Prepared properly‘ (p. 154)

『思うんだがイタリアへ行って、そこで・・・』、彼は振り向いてl’Equipierの方を示した。『彼のところへ滞在するといい。8月にビアリッツを出るんだ』 そこで少し間があった。『そうすれば、ちょうどよく準備ができるだろう』

 
本の中にはそれまでにも『Prepared』という言葉が何度か出てくるのですが、会話で普通に交わされるこの『準備をする』という言葉には、ドーピングでレースに備えるという意味が含まれていたのです。

その後、徐々にドーピングによる影響で自分を見失っていくミラーは、2003年に行われたロード世界選手権でチームGB(Great Britain)の一員として個人タイムトライアルで優勝します。この時の彼の勝利の感じ方が怖い。

 

After I’d won I stood on the podium, listening to ‘God Save the Queen’. I was World Time Trial champion, yet I felt almost nothing. I should have been choked, moved, just as other athletes were at such a moment. I wanted to experience that feeling. Instead, I just thought : ‘Job done’ (p. 196)

勝利の後、ポディウムに立ち、『God Save the Queen』を聞いた。世界タイムトライアルのチャンピオン。でもほとんど何も感じなかった。他の選手がこのような瞬間になるように、私は喉を詰まらせ、感動するべきだった。そのような感情を経験したかった。かわりに、私はこう思っていた。『任務完了』

 
ただこの世界選手権の準備で、チームGBやこの本の献辞を書いているデイヴ・ブレイスフォードと過ごしたことで、自転車に対する考え方やプロフェッショナリズムに触れ、ミラーはドーピングとの決別を決意します。
しかし時すでに遅く、コフィディスのl’Equipier、チームメイト、そしてミラーのもとに捜査の手がおよび、家宅捜査の末、本棚に放置したまま忘れていた注射器を発見されてしまいます。47時間の拘束の後、ミラーは何もかもを認めました・・・。

公判の様子や、酒浸りの日々、失意の中で出会った現在の奥さんであるニコルのこと、その後のエピソードもとにかくフィクションを読んでいるかのように面白いです。
さらにアンチ・ドーピングの仕組み作りに協力するため、ミラーは積極的に自らの過ちを公の場で語り始めます。

 

I’d given interviews and held press conferences, but I’d never spoken publicly in this way before. I was very nervous but decided that the best thing I could do was simply to tell my story, and to try and get across what I’d learned, in the hope that my experience could be used to support anti-doping. (p.281)

インタビューを受けたり記者会見にのぞんだりしたことはあったが、このような方法で公の前で話したことはなかった。私は神経質になっていたが、できることは自分の話をとにかくシンプルに伝えることであり、自分が学んだことを理解させるようにがんばってみようと決めた。私の経験がアンチ・ドーピングを支援するために使われることを望んで。

 
個人的に一番読んでいて泣けたのが、2007年にアスタナの選手であったヴィノクロフにドーピング検査で陽性反応が出た時のこと。
ミラーはそのニュースに涙を見せ、それを彼を敵視していた記者から『インチキに対する涙』と批判されます。
ヴィノクロフはミラーにとってはヒーローの一人でした。彼はヴィノのアタックの仕方が好きで、もしクリーンに勝てる選手がいるとしたらそれはヴィノクロフだと信じていました。
ただ、流した涙の意味はヴィノに対するものではなく、ある事実を悟ったからでした。

 

I wept because suddenly, definitively, I fully understood the gravity of what I’d done to my sport and to everybody who had believed in me, cheered for me, defended me and trusted in me. I’d broken their hearts the way that Vino had broken mine. (p.295)

私が泣いたのは、私を信じ、応援し、擁護し、信頼してくれていた人達に対して、そして自分のスポーツというものに対して私がしたことの重みを突然にはっきりと理解したからだった。ヴィノが私の心を砕いたように私は彼らの心も砕いたのだった。

 
2010年のツール・ド・フランス第9ステージ。
ミラーは痛めた肋骨の痛みを抱えたまま、モリアンヌ渓谷へ向かいアルプスを越えていきます。
踏みこむたびに体は痛み、すでに集団からも大幅に遅れ、時間内にフィニッシュすることができない状況となっても、ミラーが最後まで自転車に乗り続けたのには理由がありました。

 

‘Nine years ago I pulled out of the Tour on almost this exact stage, on the descent of the Madeleine. Today I kept thinking, I’m not that person any more. I think I had to prove it to myself.’ (p. 337)

『9年前、ほぼ同じこのステージ、マドレーヌ峠の下りで私はツールをリタイヤした。今日はずっと考え続けていた。「私はもうあのときの私ではない」それを自分自身に証明しなければと考えたんだ』
 
I didn’t tell him about what had happened on the Madeleine nine years earlier, when I quit on the same mountain, got into a team car and that night took my first steps into the world of doping.(p. 337)

私は彼に9年前、マドレーヌ峠で起こったことを伝えなかった。同じ山でリタイアしてチームカーに乗りこんだその夜、ドーピングの世界へ最初の一歩を踏み入れたことを。

 
自伝を最後まで読むと、個人的に美しいと思う言葉”Redemption”(贖罪)で話が締めくくられています。
涙もろい方なので、読みながら何度か涙を流しました。

海外の選手(自転車以外にサッカー選手なども)の自伝を読むことはわりと好きな方ですが、日本人の私がいつも驚くくらいみんなオープンであり、人に言うのが恥ずかしいと思うようなことまでもありのままに語っているところが非常に面白いと思います。
ミラーの自伝も例外ではなく、善悪の枠を超えて自分という人間の弱さを認め、それでも自分の行動に自ら責任をとっていく強さは、他者に判断基準をゆだねがちな私にはうらやましく思える部分です。

最後にこの本を読んだレオパード・トレックのオグレディ選手がつぶやいていた感想を。同じ自転車選手の言葉としてぐっとくるものがあります。





(7年ぶりに本を読んだ。でもそれは信じられないような『読書』だった。デヴィッド・ミラーの『Racing Through The Dark』。読み始めたらやめることができなかった。
そこにあるのは、私たちはみんな人間であり、間違いをおかす。しかし本当の勝者はいつも再び立ち上がるということだった。友よ、尊敬する。自転車は私たちの人生だ。ペダルを踏み続けよう)

すごく面白い本なのでどこかの出版社での邦訳希望。
(なお、ミラー本のエピソードはちょこちょこと『野次馬でごめん – ProRoadCyclingRubberneck』さんで紹介されています)

 

4 responses so far

08 25 2011

シュピーゲルの自転車に関するインタビュー

【Team NettApp: Sponsor Interview in Spiegel】

Published by under Radsport

ヴァッテンフォールのレースに関する記事を探していて、シュピーゲルで自転車関連の興味深いインタビューを見つけました。

インタビューに答えているのはドイツのプロコンチネンタルチーム・ネットアップをスポンサーしているNetApp社の上級副社長・アンドレアス・ケーニッヒ氏。
シュピーゲル側の質問が、今のドイツの自転車レースをとりまく気分を端的に表している気がするので、ちょっとまとめてみました。
背景に詳しくないのであれこれ調べながらの訳です。事実関係に誤認がありましたら(優しく←ここ重要)教えてください。

 

SPIEGEL(以下S): ケーニッヒさん、あなたはプロサイクルスポーツに関わっていますね。ドイツでは自転車競技はきわめてひどいイメージを得ています。どうしてそこでやろうと?

König(以下K):私たちは長い間スポーツ活動に携わり、サッカーではホッフェンハイムが3部にいたころから関わってきました。しかし、一方で私たちは世界的なマーケットも考えていて、サイクルスポーツがそれに近かったのです。加えて、私たちの会社にはたくさんの熱心なホビー・サイクリストがいます。

S: ドイツではサイクルスポーツはドーピングと同義語と見なされています。そのことは気になりませんか?

K: いいえ。サイクルスポーツは地域に根づいた種目であり、みんなの手が届くスポーツだと思います。例えばF1への投資は私たちには論外です。その上、ドイツではサイクリングを楽しむ気持ちはまだまだ強いです。クラシックレースのパリ・ルーベに出た時は、2日間で700もの私たちに関する新聞記事が出ました。

S:過去15年の間にこの競技が行ってきたことに関するネガティブな記事を通して、会社のイメージに傷がつくことを恐れたりしませんか?

K: 全くありません。ミルラムは自転車を通して戦略的な目標を達成しました。以前は彼らは知られてなかったですが、今、その名前はインターナショナルなものになっています。ほとんどのスポンサーはイメージがもとでスポンサーを降りるのではなく、経済的な理由によるのです。

S:にもかかわらず、自転車レースではドーピングというテーマが常にいたるところにあるということを見落としていませんか?

K: 少なくともドイツではそうですね。過去何年にもわたって、ひとつのスポーツ種目が系統立てて低く語られていることをとても悲しく思います。私はドーピングにはもちろん絶対に反対の立場ですが、ドイツでサイクルスポーツをどう扱うかについては、新しいスタートを切ってみるしかありません。

S:つまり、ドイツではありがちですが、競技については少なく、ドーピングについてはより多く語られているということですか?

K: ドイツ人は全てにおいて徹底的にやる傾向があります。サイクルスポーツにおけるドーピングというテーマもやはり徹底的に扱っています。多くの才能のある若いドイツ人サイクリストたちは実質的にドーピング問題に閉じ込められています。この競技の可能性を見るよりも、まず問題の方を横目で流し見ています。これはもうヒステリーでしょうね。

S:あなたは全面的に信頼していますが、ドーピングはあなたのチームでは大したことではないのでしょうか?

K: それについて、私たちはたくさんの対策を取ってきたと確信しています。選手たちはみんなで生活していますし、何事も一緒に行います。個人が禁じられたことをするチャンスはありません。

S:チームにドーピング事件が発生したら?

K: そうすると私たちの契約においてもすぐに関係があるでしょう。それは契約でも定められています。チームの全員がよく理解しています。だから私はいかなる違反も許さない代表者なのです。

S:チームのスポーツディレクター、イェンス・ヘプナーはチーム・テレコムでヤン・ウルリッヒと一緒に競技者として活動していました。そこでの経験は、最初は称賛、そしてドーピング疑惑というものでした。あなたは彼を信頼していますか?

K: 彼について私が知っている全てのことからみて、彼は完全にドーピングに反対の立場にいます。

S:あなたがサイクルスポーツに関わっている上で、時に無理解に出くわすことはありますか?

K: 全くありません。むしろ反対です。私たちはたくさんの励ましを受けています。私たちの顧客は机の上にチームの写真を飾っています。

S:あなたたちの参加はどの程度、チームの業績に結びついているのでしょうか?

K: 私たちには時間があります。チームが2012年か2013年までにツール・ド・フランスに参加するかどうかというのは、重要なことではありません。このスポーツでは息を長くしなければなりません。サイクルスポーツでは、来て1年で翌年去っていくということはできないのです。

S:でもツールは必須ではありませんか?

K: もちろんです。それは私たちの目標です。

 
読んでいて途中、質問の仕方に腹が立ったりしましたが、今のドイツの気分(メディア)ってこんな感じなんでしょう・・・。

途中、イェンス・ヘプナーの名前がでますが、彼はチーム・テレコムでヤン・ウルリッヒたちと同じ頃にサイクリストとして活躍していました。40歳で現役引退後はEurosportで自転車レースのコメンテーターをしていましたが、チーム・テレコムの組織ぐるみのドーピングが大問題となった後、チームに所属していたという理由だけでEurosportを首になっています。
ヘプナー自身はチームのドーピングについて全く知らなかったと言っており、ドーピング疑惑とは無縁の人間と見なされているようです。(以上、記事を書く上で調べた内容をもとにしています)

この記事には出てきませんが、例えばロルフ・アルダクもテレコムの選手として、1995年から99年にかけてEPOを使用したことを告白していますが、彼が現HTCハイロードのスポーツディレクターとしてクリーンなチーム体制を作ってきたことを考えると、過去の過ちを通じて正しい道を求めることが大切なのではないか・・・という気がします。

(そういえばHTCハイロードの解散についてドイツで報道された記事は、他の国での報道に比べるとちょっとニュアンスが違うなと感じたことを思い出しました。機会があれば取り上げてみたいと思います)

 

シュピーゲルの自転車に関するインタビュー はコメントを受け付けていません。

08 23 2011

ヴァッテンフォール自転車レース

【Wattenfall Cyclassics】

Published by under Radsport

日曜日はハンブルクでヴァッテンフォール・サイクラシックスという自転車のワンデー・レースがあり、シャルケの試合が始まるまで(というか試合途中まで・・・)、ストリーム映像を見ておりました。
コースはハンブルクの街や周辺を周回するもので、どこかで見たことがあるようなバス停だとか町並みが映ると、知っている場所のような気がして(もちろん違うんだけど)、思わず見入っちゃいました。

コース途中にはザンクト・パウリのような(正式のクラブフラッグとは違いますが)海賊旗がはためいておりました。うーん、ハンブルクっぽい。



ゴールはハンブルク市庁舎前。
コース途中ではエルベ川の側やハンブルク港沿いを走ったりしていました。うー、懐かしいなー、行きたいよ、ハンブルク。



こっちの写真はハンブルクのミニチュア・ワンダーランドにある街のジオラマです。上と同じような景色を海側から見たもの。



レースはチームスカイが素晴らしいチームワークを見せ、ノルウェーのボアッソン・ハーゲンが優勝。2位はクイック・ステップ所属のドイツ人サイクリスト、ツィオレック。
ボアッソン・ハーゲンは好きですが、できればドイツの大会ではドイツ人に勝ってほしかったなー。

いろんなカテゴリーのレースが同時に開催されていたので、たくさんのホビー・サイクリストも参加。
ARDのサイトに参加した人々の写真がたくさんアップされています。太った人やけっこう年輩の方などもいて楽しそう。

こういう写真を見てると自転車に乗りたくなってきます。

 

4 responses so far

08 15 2011

Sport1のトニー・マルティン・インタビュー

【Tony Martin Interview at Sport1.de】

Published by under Radsport

え、トニー・マルティンって誰?と疑問に持たれた方もいらっしゃると思いますが、サッカーと全然関係のない自転車記事を一発かましてみたいと思います(汗)。
記事についてTwitterでばらばらつぶやいてみたものの、せっかく時間をかけて訳したのでついでにブログにも載せてしまおうかと。
いったい誰得なんだ・・・というブログ記事ですが、はい、自分のためのポストです。ヘン顔のドイツ人が好きなんです・・・。
(↓これはいちばんかっこよく写っている写真を選んでみた)



多少、インタビューの背景について説明。
トニー・マルティン君@26歳はHTCハイロードというチームに所属しています。HTCは現在、カヴェンディッシュというマン島出身の優秀なスプリンターを有し、非常に成功しているチームなのですが、スポンサーがつかなかったため今シーズン限りで解散することが決まってます。
マルティン君の次のチームについてはまだ決定しておらず、そのあたりも含めたインタビューになります。

自転車ロードレース素人なので用語、人名、解釈等まちがっていたらスミマセン。

 

(HTCの解散について)すごく悲しいニュースだよ。僕たちはとても成功したチームだったし、ドーピング問題もなかった。スポンサーにとっても魅力あるチームだと思っていたので、このような結果になったことは簡単には理解しがたい。

僕たちは全員が皆のためにというモットーでやってきた。誰が勝つかというのは比較的どうでもよかった。重要なのはチームでタイトルをキープすること。僕をはじめとした若い選手によって、仕事のための良い構造ができていた。すべての領域において、Rolf Aldagのコンセプトが同じようにあった。最高のものを達成するために、機材やマッサー、メカニック、みんなが努力していたよ。
ただ、これは自転車の世界においては普通のサイクルだ。チームが来て、去っていく。これで新しいチームが生まれないというわけでもなく、隙間がぱっくりと口を開いたわけでもない。僕はネガティブにはとらえていない。

(多くのチームが興味を示していることについて嬉しく思うか?)もちろん。来てほしいと熱望されることは素晴らしい。同時に一生懸命がんばったことも反映している。自分の自信にもなるよ。僕にとって最適のチームを探し、できるだけいい条件を手にしたい。金銭面だけでなく物質的な面、例えばマッサーを一緒に連れて行けるかどうかなどだね。自分の将来について最適な状態を得るために今、がんばっている。どこに行くかは次の1、2週間ではっきりさせると思う。

ツール・ド・フランスでの目標はトップ10に入ることだったけど、達成できなかった。ただ、ずっと待ち望んでいたステージ優勝ができた。ツールのステージで優勝できれば人はたぶん成功だというかもしれないね。今は世界選手権だけにフォーカスしている。世界選手権の個人タイムトライアルが自分の目標だ。
ツールでもわかったように、ヒルクライムではまだ成長の余地がある。ここでもっと強くならなければいけない。タイムトライアルでスピードがさらに大きく上がるということはないだろう。

(ヨーン・デーゲンコルプ、マルセル・キッテル、パトリック・グレチェらと共に、ドイツの新しいルネッサンスと言われる理由について)僕も含めて全員が同じ過去をたどることができる。それはエアフルトのテュリンガー・エネルギー・チームのことだ。テュリンゲンで僕たちの基礎が作られたおかげだよ。しっかりした基礎部分がユース時代にあり、プロとして今その恩恵を受けている。だから目覚ましいレベルを達成できているんだ。

(ドイツには質の高いチームもなく、メディアやスポンサーも興味を示さない。間違いを犯した選手たちに対して怒りはあるか?) 散発的な事例については怒っている。パトリック・ジンケヴィッツがさらにドーピンが必要と考えたことや、シュテファン・シューマッハのことだ。僕はそこは区分したいね。
2006/2007年頃まで競技に勝ちたいと思う者は不正に手を染めていた。ぼくはそのことに理解を示しているわけではないが、わかる部分もある。その後、サイクルスポーツは改革を迫られた。彼らのことは今でも理解できないし、恨みも持っている。だが、そういう愚かなものも理解して、僕たちはみんなでクリーンなサイクルスポーツという目標へ向かっていくよう協力していくよ。

 
ツール・ド・フランスの間、山岳でも町でも、ドイツの国旗が振られている光景を目にすることが少なかったのは、ツールを初めて見る私でもなんだか残念な気持ちになりました。
ドイツ語を勉強し始めた頃、ZDFのサイトでドーピングについての記事は何度も目にしましたし、ドイツ人がいろんな意味で自転車レースに対して白けてしまっているのも理解できます。
ただ、私はドイツが好きなので、マルティン君にはがんばってほしいと思うし、ツールでドイツ人がステージ優勝した時は、しっかりとドイツメディアが取り上げてくれるようになるといいなあと思っています。(今のメディアの扱いは・・・といっても、Webで見た限りですが、けっこう気の毒な気がします)

 

4 responses so far

07 26 2011

ツール・ド・フランス 2011 閉幕

【Tour de France 2011】

Published by under Radsport

7月24日、3週間にわたるツール・ド・フランス2011が終わりを告げました。

我ながら、近来まれにみるハマりっぷりでした。
だいたい夜の21時くらいから連日1時近くまで、どこに力を入れて見て、どこで息抜きすればいいのかが初めての経験でさっぱりわからず、3、4時間ずっとテレビにくぎ付けな毎日でした。
おかげさまでブログ更新もすっかり滞ってしまいました・・・。

自転車レースという奥深い世界を理解するのに、映画『Blood Sweat + Gears』もだったけど、近藤史恵さんの『サクリファイス』という小説にも助けられました。
ただ自転車に乗ってタイムを競いあうだけなんじゃない?という単純な先入観から、実は勝つためにはステージごとの綿密な計画から、全体の戦略、レース中のライバルとの駆け引きなど、非常に知的なスポーツであることに目を開かせてくれた本でした。

とにかく私にとって初めてのツール・ド・フランスはものすごく濃い3週間でした。

映画がきっかけだったので、ずっとガーミン・サーヴェロを応援する側にいましたが、ユーロップカーのヴォクレールのがんばりに心を打たれ、ガリビエでのアンディ・シュレックのアタック、そして最後のエヴァンスの男泣きを思い出すと未だに涙が出そうになります。
(20ステージのタイムトライアルは、なんとかドイツのトニー・マルティン君に勝ってもらいたいのに、エヴァンスの追い上げにおののいていましたがw)

チーム総合優勝を果たしたガーミン。チーム監督のヴォータースが怪我でリタイアしたザブリスキーの等身大パネルを抱えています(笑)



左から山岳賞のサムエル・サンチェス、ポイント賞のカヴェンディッシュ、そしてマイヨ・ジョーヌを着たカデル・エヴァンスと新人賞のピエール・ロラン。



すでに来年は現地に見に行く気満々なワタクシなのでした・・・。(バカと呼んでください。汗)

追記:ARDにツール・ド・フランスの雰囲気をよくあらわしたハイライトがありました。見てると泣いちゃう・・・。

 

2 responses so far

07 15 2011

サイクルロードレースにハマる

【The World of Cycle Road Race】

Published by under Radsport

更新が滞っていてすみません。

2週間前に渋谷・アップリンクで上映中だった『Blood Sweat + Gears』という自転車ドキュメンタリー映画を見て以来、すっかりサイクルロードレースにハマり、欧州サッカーシーズンがオフなのをいいことに毎晩ツール・ド・フランス三昧で、全然ブログに手をつける時間がありません(汗)。
週末あたりにまとめてアップしますので許してー。

これまで周りに自転車好きな人がけっこういたわりには、私は全く影響を受けることもなく、自転車には興味がありませんでした。
なによりもスピードが苦手な方で、自動車を自ら運転するのもスピードが出たらコワイからイヤという私にとって、生身でかっ飛ばす自転車なんて、ぎゃー、ご勘弁を、というシロモノでした。

『Blood Sweat + Gears』は2007年にアメリカで生まれたスリップストリーム(現ガーミン・サーヴェロ)というプロサイクルチームを丹念に追ったドキュメンタリーです。
一時期、ドイツのZDFのサイトを開くと、ドーピングの記事がトップにない日はなかったくらい自転車界でのドーピングが話題になりましたが、スリップストリームは反ドーピングをチーム理念とし、チーム内に自ら厳格なドーピング防止策を導入しています。
チームのエースは、そのドーピングにより、絶頂期に2年間の出場停止を経験し、まさに地の底まで落とされた経験を持つイギリス人のディビッド・ミラー。

ドキュメンタリーとしての映画の質自体も本当に素晴らしいです。

スリップストリーム・チーム結成の記者会見に臨む前に、チームをスポンサードしている人が『君たちをメンバーとして紹介できることを誇りに思う』と声をかけるんですが、こういうときの芝居がかったアメリカ人の言葉ってほんとに絵になります。

ミラーの他にも個性豊かな登場人物が映画に奥行きを与えます。
アメリカ代表として五輪に選ばれることを夢見てタイムトライアルに出るけれども、父親が見に来るとどうしても実力を出すことができないマイク・フリードマン。
アームストロングの影でずっとその実力を自分でも信じられずにきていたヴァンデヴェルデ。
愛する夫と一緒にいたいがためにチームに同行してサポートしながらも、次第に精神的にも肉体的にも疲れていく自転車選手の妻。
小さな不運が次々と重なって、どうしても調子に乗ることができないマニュス・バクステッド。

この小さなプロサイクリングチームがツール・ド・フランス、そしてシャンゼリゼのゴールを目指して駆け抜ける93分。最高に素晴らしい映画です。
ま、なによりも、チームの監督であるジョナサン・ヴォーターズ(JV)があまりにかっこよすぎて、めちゃめちゃ惚れてしまいました。
何も恐れることなく、自分の意見を率直にそして極めて的確な言葉で表現するJV。
ほんとに有能なアメリカ人って久々に見たわー。かっこええ。

・・・と、映画の話ばかりになってしまいましたが、これがきっかけで自転車に急に興味がわき、おあつらえ向きにツール・ド・フランスが始まってしまったというのが現状で。

人生において新しい何かに感動することなんてもうないよね、と冷めきっていた私にも、まだエキサイトできる新たな何かがあったのかとちょっと驚いています。人生はまだまだ奥深いね(笑)



(2008年ベルリンにて撮影。ドイツは本当に自転車天国でした)

 

サイクルロードレースにハマる はコメントを受け付けていません。