戻りつつあるスタジアムの光景

Nordkurve

パンデミックにより無観客となったドイツの試合をテレビで見ているうちに、だんだん以前のような情熱をサッカーに対して持てなくなっていることに気がつきました。もちろん昨シーズンのシャルケのゴタゴタや、最終的には2部に降格するに至った試合内容の悪さも、大きな要因の一つだったのは確かです。

でも私がブンデスリーガを好きになった最大の理由は、ファンとスタジアムの一体感にあったので、それがないままの試合観戦は空虚な気持ちになりがちでした。(もちろんシャルケの成績……、以下略)

10月23日、ディナモ・ドレスデンとの試合では、実に595日ぶりにアレーナに5万人を超える観客が迎えられました。それと同時にNordkurve(北ゴール裏)にウルトラスも戻ってきました。シャルカーの応援を聞いた時の感動をうまく表現できずにいたのですが、Ultras Gelsenkirchenが発行している『Blauer Brief』を読んだときに、ああ、これだと思いました。読んでいて感動したので、コールリーダーの言葉の章を引用して訳してみました。


『Blauer Brief Nr.2 Saison 21/22

ホッフェンハイムとのホームゲームが、スタジアムで観戦できる最後の試合になると考えた人はほとんどいない。それ以来、試合のためなら全てを投げ出したいという考えがみんなの頭をよぎっただろう。たとえ相手がピッチでどんなに取るに足らず、役立たずだとしても。1部だろうが2部だろうが、ポカールだろうが、欧州のアウェイゲームだろうが、どうでもいい。すべてが些細な付け足しだ。俺たち全員が望んでいたのは、Kurveの段を下り、友達と並んで立ち、一緒に情熱を全開できる瞬間にもう一度戻ること。

その時どう感じるか、という考えが頭の中を何度もかけめぐった。ブロックの柵に幕を掛け、フラッグを掲げると、500日ぶりにドラムスティックがヘッドを叩く。Nordkurveが再び一斉に腕を空へと伸ばし、最初のチャントを共に歌う。この特別な瞬間は果たしてどのようになるだろうか。俺たちが頭を悩ませるには十分な質問だ。今日のディナモ・ドレスデンとのホームゲームで、まさにこの瞬間が間近に迫り、計り知れないほどの喜びと共に、俺たちの頭にはかなりの敬意も込められている。全てがうまく進行するか、馴染みの顔はみんなKurveに戻ってくるか、ひょっとするとパンデミックの期間に挫折した仲間がいるか?

俺たちのKurveはこの特別な日に自らの期待に応えられるだろうか。それどころかこの瞬間が想像していた通りにならず、失望を味わうだろうか?多くの問いかけがあるが、それは必ず自分自身が答えを出すもの。その答えがどうなるかは一人一人に掛かっている。

今日のホームゲームで自分たちの感情と情熱を再びKurveに持ちこむ時がきた。俺たちのクラブの降格後、もう一度前へ行こうと叫ぶため、自分の役割を果たす機会がついにやってきた。違いを生み出し、クレイジーでクリエイティブかつ大音量のファン文化が、サッカーにとってどれだけ大切かをみんなに示すことができる。今日の時点でこれ以上言い訳は絶対にない。休むには十分な時間があった。炎を新たにかき立てて、リーグの全てのクラブとKurveに対し、誰もシャルカーの足元には及ばないことを示そう。

本当はコールリーダーはやる気を起こさせる言葉で終わるべきだが、俺たちのKurveへ戻るにあたり、伝えたい重要なメッセージがある。長い休止の後で、カンネはもう演台には戻らず、メガホンも取らない。よく考えた上でのこの決断は、これまでの長い年月、多くの旅と数えきれないほどの経験を経たカンネにとって、容易ではなかったに違いない。12年以上前、メガホンを引き継ぎ、多くのフェンスや壁、あるいは深い奈落をよじ登り、10年以上にわたってKurveの支援を少しずつ発展させてきた。俺たちのKurveの歌を世界の半分ほどで、信じられない瞬間にもリードしてきた。マドリードからクラスノダールを経てザントハウゼンの田舎まで。

大小を問わず多くのシャルカーの窓口となり、また声の他にもたくさんのことをKurveのためにずっと犠牲にしてきた。10年以上に渡り、こういう瞬間を一緒に経験してきたが、カンネが果たしてきた全てに対し『ありがとう』を言う時がきた。成し遂げられた仕事をさらに受け継ぎ、積み上げていくことが求められている。

カンネ、12年間の声援に感謝。