ぺーター・ヘアマン・インタビュー

新しいアシスタント・コーチ、ペーター・ヘアマンのインタビューがシャルケ公式に掲載されていたので抜粋してみます。
ケラー監督についてもとても興味深いことを言っています。昨シーズンからちゃんとケラーのことは見ていたんですね。

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私は1989年からこの仕事につき、すでに数多くの経験をしている。始めた頃から見るとずいぶんと変わった。コーチングスタッフは明らかに増えてきた。様々なエリアで、例えばアスレティックコーチのような専門家がいる。モダンフットボールでは試合中に要求されるものがどんどん難しくなってきている。技術や戦術やスピードなどね。

(野心について)こういう仕事は実のところ何かをもたらすわけではない。かつてはなんども問うてみたが、正しいことは私にはわからなかった。ようやくアシスタント・コーチの役割はこうだと意識して決め、レバークーゼン、ニュルンベルク、最後はバイエルンにおいて、とても素晴らしい瞬間を体験することができた。

私のバイエルンでの契約が終了した時、チームで他の役割で仕事をする気があるか聞かれた。それはU-23の監督の仕事だった。レバークーゼンからもスカウトというオファーがあったが、それは問題外だった。私はピッチの上でずっと生きてきたし、そこに属してる。イェンス・ケラーと最初に会ったとき、すぐに互いに気が合ってうまくいった。そしてシャルケの話はとてもやりがいがあると思った。

監督というのは今日では以前よりもっと多くの仕事がある。比喩的に言うと(ケラーは)前線で戦っている。トレーニング以外にもたくさんある。メディアとの対応だ。勝利の後はカメラの前に立つのもそんなに大変ではないが、敗戦後はいわば仕事の一部となる。
カタールのトレーニングキャンプではケラーと間近に居合わせたことがあった。私はバイエルンで、すぐそばでトレーニングをしていた。彼はそこでは後半戦と同じくらいとびぬけた仕事をしていた。イェンスはあまりに多くのメディアからの向かい風にあっていて、そういうのは私もこれまでにどこでも見たことがなかった。とても大変だった。絶対に正しく認めてもらえない。
彼はそれでも自分の道を思いとどまることなく、シャルケで4位を守った。私にっては監督はクラブの中で最も大切な人間なのだ。

(アシスタントコーチの序列は)ズヴェンと私の間にはない。大切なのはスタッフが自分の才能の最善を可能な限り尽くすことだ。

(メディアでよくいわれる『成功の遺伝子』をゲルゼンキルヒェンに持って来たということについて)それを聞くといつも笑ってしまう。バイエルンでは3度2位に終わった、というのも私がアシスタントコーチだったからね(笑)
それでミュンヘンはこのまま沈むだろうと思っていた。レバークーゼンでも2002年までに3回2位になったからね。
だがその時とは全く違う状況だった。バイエルンはいつでも昨年のようにタイトルのために試合をすることができるんだ。私たちは幸運なことに三冠を達成した。良い時間だったがもう過去のことだ。私はいまシャルケでの自分の仕事に全集中を傾けている。

(成功のためには)クラブがひとつになり、それを指し示すことが重要だ。ナンバー1からナンバー25まで、監督、理学療法士。みんなが一緒に一つになることだ。一つになることが私たちを強くする。昨年のバイエルンでの偉大な成績の秘密もそうだった。
控えでプレーできなくても、勝利の後で全員が幸せに見えたら、それはチームスピリットというものについて多くを物語っている。

(チームについて)まだ全ての選手が集まっているわけではない。ただこれまで見たところではとても気に入っている。選手たちは本当に素晴らしく足並みがそろっている。若手と経験豊かなプロが溶け合った編成はとても魅力的だと思うね。ひとりひとりの選手が素晴らしいものを持ってくる。このチームでシーズンを送ることができて嬉しいよ。