ケラー解任をドイツ人はどう分析したか

ケラーが解任された後、いくつも新聞記事やコラムを読んだのですが、一番納得したドイツ人のブログをちょっと訳してみました。
この方は以前からシャルケの試合を戦術面から解説するコラムを書いていて、これまでずっとケラーについては良い面を強調しつつ書いていたのですが、今回は非常に辛口です。

私も監督在任中はできるだけ良い面を見るようにし、監督批判は避けたいのですが、一度新しい局面に物事が動いた時は、これまでの問題を棚卸ししてみないことには先に進めません。
ケラーのサッカーを見てなんとなく感じていたことを彼が説明してくれたおかげで、かなり頭の中がすっきりしました。

ケラーさんは人間的には本当に素晴らしい人で、全く悪く思うところはないのですが、監督として見た時にいくつも解決できない問題を抱えていたように思います。
良い人だった、結果もそれなりに出していた、でも解任された、クラブが悪い、ではなく、今後につなげるためにもKarsten(Twitter ID @KarstenTS)の意見を紹介してみます。

(前段は飛ばします)

信条:ディフェンスの安定性

ケラーは失点をとめるという任務を持たされていた。しかしこれは2014年後半をのぞいてほとんど満たすことができなかった。大部分はトランジション(Umschaltspiel)の問題だった。筆者の2013/14のブログを見ると、シャルケはカウンターからの多くのゴールをつかまえることもなかったが、カウンターを通して得点することも少なかった。数多くの試合でディフェンスにおける切り替えは問題だった。今シーズンははるか手前に残っているか、あるいは素早く戻りきれずにいた。

特にサイドバックは攻撃的な役割でプレーしていた。これはケラーの元でもモダンフットボールでも珍しいことではない。安全の確保はいつでも与えられるわけではない。対戦相手が中盤でボールを持つと、センターバックの前には投げ出されたボランチが一人だけということがよく見受けられた。
コレクティブなゲーゲンプレッシングは最初のうちは見られた。シャルケがグラートバッハに負けた時は華々しいものだった。昨シーズンの前半はシャルケはほとんどリーグの射的小屋のようだった。

長所:ディフェンスの規律

昨シーズンの高い失点数とカウンター攻撃の影響の受けやすさを、実際の守備における動きと混同してはならない。シャルケはいったん基本的な守備の秩序を見つけると非常に安定した。ケラーのもとではいつも4人の列を二つ作り、前の二人の選手がボールを運ぶ選手を見るか、あるいはパスのオプションに向けて走ったりした。4-4-2か4-4-1-1かは対戦相手か定義の仕方による。シャルケは特に昨シーズンはタイトでコンパクトにプレーした。

シャルケはピッチを小さく使う。選手はボールについて位置を動かし、4バックの双方がボールのあるところへと動き、ち密なディフェンダー同士の網で前へのチャンスを引き寄せようとする相手をブロックする。その時にはシャルケは典型的にほぼピッチ半分だけをカバーする。つまりボールだけである。これにより明らかにボールから離れたところにあるウイングはフリーになるが、ボールを持っている選手も走らせることで、ダイレクトなサイドチェンジをしばしば不可能にした。逆サイドでボールを持った相手に対しては背後に走り捕まえた。網をくぐられた場合はそのつどパスの受け手にプレッシャーをかけた。

この遅らせてプレスをかけるというのはとても受け身である。要するに対戦相手を走らせるけれども、めったに本当の意味での一対一(Zweikampf)に巻き込まれることはなく、ただ注意を払うだけである。この考えはシンプルだ。すべてのZweikampfは負けることがある。ボールを失えばディフェンスにおいては魚の網に穴があいたようなものだ。敵は遅かれ早かれパスをするか、プレッシャーに耐えかねてリスクをおかすので、そこでシャルケは攻撃に出ればいい。

パスのチャート図を注意深く見れば、シャルケはペナルティエリアでパスの数がとても少ないのがわかる。また失点も普通の試合では比較的少ない。だがケラーのパッシブなプレッシングはしばしば批判を受けた。メンタルの欠如あるいはそのようなものとよく結論づけられた。確かにシャルケはプレッシングのリーグと言われるブンデスリーガの中では例外的にパッシブ(受け身)だが、そこまでひどくもなかった。賞賛された後半戦ではシャルケは部分的にはプレッシングに積極的だったが、それも長くは続かなかった。

弱点:グループ戦術

アグレッシブなプレッシングをするにはケラーのシャルケにおいては根本的に大きな問題があった。グループ戦術である。一人以上の選手が同時に合わせて動く時にはいつもグループ戦術から話をする。シャルケはボールを保持してる時もそうでない時も、動きが調和することはめったになかった。この問題があると、対戦相手が倍に増えたようになるし、ビルドアップにおいてはひどく邪魔である。俗にしばしばメカニズムと言われるものだ。これがほとんどなかった。

例えば、ボランチがどのように攻撃をするか一貫したプランはほとんど見られなかった。例外はある(バーゼルやドレスデン戦)が、それでもその時だけですぐに消えた。最終的には自分たちで決定をするという責任を負っているように見えた。サイドバックがウィングの後ろを走って上がる時だけが、このカテゴリーから外れているようだった。10番の動きと、どのようにボールを見込みのある位置におくかは完全にアドリブのように思えた。だからシャルケはビルドアップの試合でゴールチャンスを作るのが難しかったのだ。

同時にケラーは守備を安定させようとする衝動からカウンター攻撃の習慣をやめた。結果として少ない人数で実際にカウンター攻撃になることはあった。チュポ・モティングとマイヤーには当てはまらなかった。しかしドラクスラーやファルファンはボールと共に前に疾走し、フィニッシュまできれいにもっていくこともごくたまにあったが、これは全て個人の力によるものだった。

融合 対 成長

ケラーがいつもポジティブに評価されることは、若い才能ある選手をチームに融合させたことだ。これはうまくやっていた。彼のもとでドラクスラーは代表選手になったし、マイヤーやコラシナツ、アイハンはしっかりと成長し、次の選手たちも待っていた。確かに怪我人の問題はあったが、若い選手が押し上げたというのは言うまでもないことだ。

しかし同時にケラーは、若い選手の成長をさらに先へ発展させることができなかった。ドラクスラーは1年以上も停滞し、マイヤーが素早く意思決定できないという問題は、彼の最初のブンデスリーガでの試合同様まだ残っている。コラシナツのポジショニングは依然としてひどいし、アイハンに至っては後退しているように見える。

ケラーの元で自分を出すには思考力を使うことだ。グループ戦術の欠如で良かったことは、アドリブができ、もとからの才能を出せたことだ。ロマン・ノイシュテッターのように。他の選手にとっては少し複雑だっただろう、特にもし彼らがチームメイトと協調して試合をすることに慣れていると。最近ではサムが顕著だ。試合を重ねるごとに彼の素晴らしさは輝いてはいたが、それでもまだ活用されきれないでいる。

個人の上におこったことは同じようにチームの上にもおこっている。ケラーはあれこれと試してみては、3〜5試合後にはそれは消えてなくなった。先シーズン後半のゲーゲンプレッシングは確かにうまく行っていたが、後半5試合目でそれは消え失せた(対レヴァークーゼン戦)。個別のケースでは理由はあるかもしれないが、サッカー辞典を通せばチーム全体としては間違いであり、目標なしの成長というものはない。

シャルケはポゼッションのチームのようにプレーしたいと思っていたが、ボールポゼッションのコンセプトが欠けていた。カウンターを減らそうとしたが、めったに良いカウンタープレスをかけることができなかった。そしてケラーはいつも全く気づいてなかったが、サイドに集中されている時に4-4-2でクロスをあげることは価値がなかった。さらに誰も前にいない時にはクロスは意味のあるプロセスを作ることができたが、ではもし相手が4バックでクロスに対応できるディフェンダーだったとしたら。

ケラーはまたきついコルセットをはめて考えていた。いつでもフォーメーションへのアプローチはわかっているようだったが、ほぼテストマッチでのみだった。勝ち点のかかる試合ではかたくなに4-2-3-1でプレーした。交替する時は適正なポジションのみだった。ポジションについて違う解釈があるとしたら、個人の即興のみで、戦術的な必要性ではなかった。この問題で意味があったのはレオン・ゴレツカを試合に当てはめたことだろう。

結論:ケラーは時機を逸した

これは極端に聞こえるかもしれない。しかし個人的にはケラーを長く引っ張りすぎたのは失敗だったと思う。チームの成長は少なくとも途切れ途切れとなり、多くの根本的な問題においてケラーは答えを見いだすことが出来なかった。成功した後半戦を思い違いしたのは、ダービーでの勝利がすぐに去るのと同じようなものだ。彼は昨シーズンで勇退しておくべきだったのかもしれない。

(新監督に関する最後のパラグラフは省略しました)