フットボール・ノワールの傑作 『Damned United』

デイヴィッド・ピースのPatient Xの翻訳が出版されて喜ばしい限り。日本を題材にした彼の小説はほぼ翻訳されている一方、Red or DeadDamned Unitedのようなサッカーを題材にしたものは、全く邦訳される気配もありません。

デイヴィッド・ピースの『Damned United』が特に好きで、2012年に読んだ頃の感想を友人のサイトに書いたものを、この機会に転載します。当時は『The Damned Utd』というタイトルでしたが、その後『Damned United』に変更になりました。映画版は『The Damned United』(くたばれ!ユナイテッド)なので、もはやどれが正しいタイトルなのかわかりません。

 


フットボール・ノワールの傑作 『The Damned United』

明るく健全なフットボール小説?そんなものくそくらえ!

イギリスの暗黒小説の旗手、デイヴィッド・ピースがサッカー本を書いたら……これぞフットボール・ノワールともいうべき新しい世界が待ち受けていました。

『The Damned United』は、2011年のヨコハマ・フットボール映画祭で審査員特別賞を受賞した『くたばれ!ユナイテッド』の原作ですが、映画の『くたばれ!ユナイテッド』から感じられるどことなく暖かな雰囲気はみじんもありません。

ジェイムズ・エルロイやジム・トンプスンの影響を受けている独特の文体は、短い単語をこれでもかというほど執拗に繰り返し、会話の中には罵り言葉が一語ごとに挿入されます。

 登場人物はそれぞれが憎しみを心に秘めています。

― いつか復讐してやる。いつかお前を抹殺してやる。この世界から。フットボールの世界から。俺は俺であるがためにやつらから嫌われる。俺は俺であるがためにやつらから愛される-

リーズ・ユナイテッドの監督に新しく就任した直後、栄光に満ちた前監督の記念碑的なデスクを、届いた斧でめちゃくちゃに壊して裏庭で焼いてしまうシーンは憎悪の象徴ともいえます。

主人公のブライアン・クラフは実在したイングランドのフットボール・マネージャーです。怪我のため29歳でサッカー選手としてのキャリアの終わりを余儀なくされ、監督というセカンドキャリアをハートリプール・ユナイテッドFC、ダービー・カウンティで積み、74年ついにリーグ・チャンピオンのリーズ・ユナイテッドの監督に就任します。

……そう。彼が心の底から憎んでいたあのユナイテッドの監督に。彼が心の底から憎み、批判していたあのドン・レヴィーの後任監督に。

イングランドの代表監督に栄転したレヴィーのいなくなったリーズには、やり残した選手契約書類の山、汚いプレーで勝つことが染みついているレヴィーの選手たち、クラフへの憎しみをあらわにするレヴィーのコーチ陣が残されていました。13年の在任中にレヴィーが築き上げた栄光の残骸の中で孤独な戦いを強いられるクラフ。ダービー・カウンティで彼とずっと苦楽を共にしてきたピーター・テイラーはそこにはいません。

これは俺の選手ではない。 
これは俺のコーチではない。
これは俺のチームではない。
だが俺はブライアン・ハワード・クラフ。ドン・レヴィーよりも優秀な監督。ドン・レヴィーがなしとげられなかったヨーロッパを制覇してみせる。

  ……44日後、彼はリーズを首になります。

物語はクラフがリーズに監督として君臨した44日間を描きながら、リーズに来るまでの過去がフラッシュバックのように挿入されていきます。最初はイタリック体で表される意識の流れに混乱するのですが、読み進むうちに、ダービー・カウンティを昇格とリーグ優勝に導いた幸せに満ちた日々と、孤独と敵意に満ちたリーズでの日々が映像のように鮮明に対比され、憎しみと愛情、成功と破滅への恐れという、両極端のシーンが階層のように折り重なり、眩暈がするような感情の渦に巻き込まれます。

面白い。本当に面白い。こんな面白いサッカー小説が翻訳されていないなんて!

著者のデイヴィッド・ピースはヨークシャー出身で、彼自身はリーズ・ユナイテッドのライバル、ハダースフィールド・タウンFCのサポーターです。 クラフの人物描写には著者のリーズに対する対抗意識が色濃く投影されているのが感じられます。

事実とフィクションが境なく混在するこの小説は、読み終えても胸のすくようなカタルシスはありません。ただサッカーの試合で味わうような恐怖から歓喜までのすべての爆発的な感情を、読みながら存分に味わうことができるでしょう。
(2012年6月24日 / PLANET OF THE ABESより)