スローターハウス5を訪ねて

大学の時、カート・ヴォネガットを卒論で書きたいと言い張り、担当教授に僕は指導できないと反対されました。当時のヴォネガット(ジュニア)はまだ今ほど評価が定まらず、SFの人という捉えられ方をしていました。強引に押しきって書いた論文は、見るも無惨な内容でしたが、それでも人生の一時期に、真面目に作家と向き合う時間を持てたことは幸せだったと、ふと思い返したりします。

大学では勉強に身の入らない怠惰な学生でした。授業をサボって落語を聞いているか、図書館で本を読んでいるか。あとはひたすら家で寝ているか。将来、何をしたいということもなく、平凡な会社員として一生を終えるんだろうなと考えていました。会社員?そもそもこんな田舎で就職先があるのかどうか。そんな漠然とした不安にヴォネガットの小説はピタリと合ったのです。

ヴォネガットはアメリカ人でありながら、ドイツの捕虜として囚われていたドレスデンで、連合軍の大空襲を経験しています。その時のことを書いた本が『スローターハウス5』(屠殺場第5号)です。時空を越えて旅する能力をもつ主人公のビリー・ピルグリムは、若い時のヴォネガットその人でもあります。
タラの丘やストラット・アポン・エイボンを訪ねる同級生の中で、いつかはドレスデンに行って、ヴォネガットの跡をたどってみたいとぼんやり考えていました。

ある時、DWの記事を読んでいて、ドレスデンにカート・ヴォネガットツアーというものがあるのを知りました。ガイドと共に街を歩いてヴォネガットゆかりの場所を回る。ドレスデンを訪ねるという幻のような話が、急に現実のものとして感じられるようになったのです。

2016年夏、ようやくドレスデンを訪れる機会がやってきました。ヴォネガットツアーには日本を発つ1カ月前から申し込んでいました。待ち合わせ場所のシアタープラッツは、ゼンパー・オーパーの前の広場。時間よりも早めに到着して周りの人たちを眺めます。いくつかの観光ツアーのグループが固まっているのが目に入りました。しかしメールでやり取りしたような、蛍光イエローが目印の旗を持った人はなかなか現れません。もしかしてそんなツアー、本当は存在しないんじゃ……。そういえばメールの返事もやけに遅かった。不安になり始めた頃に、ガイドのダニーロさんが現れました。

ツアーの参加者は私一人と言うのを聞き、また少し不安になりました。15ユーロするけど、ちゃんとした案内をしてくれるんだろうか。
私の不安を見越したのか、 「いつもは数組いるんだけどね。主にアメリカ人が多い。ヴォネガットからドレスデンに興味をもつ人がほとんどだ」
と言って、彼は日本語版の『スローターハウス5』を取り出しました。「ほらね、日本語もちゃんとあるんだよ」
そのままゲーテの文章が原文で挟まれているページを示し、「なぜここだけドイツ語なんだろうね」と不思議そうな顔をしました。

ダニーロさんはドイツ人ですが、映画に出てくるアメリカの軍曹のようなキビキビとした英語を話します。マシンガンのように早口で、集中していないとしばしば聞きのがしてしまいます。ヴォネガットのことは、ツアーの仕事をするようになって初めて知ったそうです。小説からドレスデンに興味を持つ人が多いにもかかわらず、市があまりヴォネガットに重きを置いていないことを惜しいと思っているようでした。

エルベ川のほとりでベンチに座り、ドレスデンが空襲を受けるに至った歴史を聞いたあと、歩いてスローターハウスまで向かいます。
「ドレスデンが無罪だったと言えるかね?」
説明の間、彼は何度もその言葉を繰り返しました。
「ドレスデンの近郊には工場があり、戦時中もエネルギーを産み出していた」
「水晶の夜、ドレスデンでも店が襲われた」
「ドレスデンが本当に無罪だったと言えるかね?」

この夏、ドイツでは移民の受け入れを巡り、各地で大きな論争が巻き起こっていました。ザクセン州でも外国人排斥に端を発した事件があり、実はドレスデンに来ることは少し怖くもあったのです。ダニーロさんのドレスデンへの厳しい言葉は、過去へというよりも、現在に向けての苛立ちのように聞こえました。

歩きながらさまざまな事が話題になりました。ドイツで台頭するAfD(ドイツのための選択)のことや、右派ポピュリズムのことなども。「日本もだんだんそうなってますね」と答えると、「アメリカ人もそう言っていたよ。世界中で似た流れになってきている」

ダニーロさんとの会話はとても面白く、30分ほどの道のりもあっという間に感じました。

スローターハウスのあったところは、現在はメッセ会場になっているので、このヴォネガットツアーに参加しないと中に入ることはできません。ダニーロさんは受付とも顔なじみで、入口はすんなり通ることができました。

爆撃を受けた街並みは、のちに新しく建て替わっているところが大部分ですが、ここは残ったそうです。それにしても白にオレンジの明るい建物群は、元屠殺場のイメージとはあまりにもかなりかけ離れて見えました。

ホール1の近くでダニーロさんは立ち止まり、「足元を見てごらん」と指さしました。

言われるままに下を向くと、タイルの真ん中に金属の丸いメダルのようなものが埋め込まれています。表面にはうっすらとORT63の刻印。
「番号がついているよね。ドレスデンでは各所にこのメダルが埋め込まれていて、その場所の歴史を知ることができるんだよ」

 

「さあ顔をあげてごらん」
言われるがままに顔をあげると、すぐ目の前に建物の入り口がありました。
「スローターハウス5へようこそ」

ダニーロさんの声が一瞬遠くから聞こえるように感じました。頭のどこかで、きっと彼は毎回この演出をしているのだろうと思いながらも、少し震えるほど感動していました。ずっと来たかった場所への扉がついに開いたのです。

ヴォネガットが収容されていた場所はホール1の地下。リノベーションはされていても当時のままだという階段を下ります。

かつて家畜の肉が吊るされていた場所は、いまは人間のコートを吊るす場所となっていました。イベント開催時のクロークです。家畜の代わりにコートが掛かっていると知ったら、ヴォネガットは面白がったかもしれません。

クロークの反対側の壁はヴォネガットの記念ウォールです。爆撃にあったドレスデンの街並みと、ヴォネガットの似顔絵。アイルランドの芸術家であるルアイリ・オブライエンと、ドレスデンのヘアーラウという工房が2012年にこの壁を設置しました。

 

壁の前に立つと、『スローターハウス5』のシーンがいくつも蘇ります。時空を旅するビリー・ピルグリムは、小説の中で、宇宙人にさらわれてトラルファマドール星まで連れていかれます。突拍子もない設定をしなければ、この現実にあったスローターを描くことは難しかったのでしょう。でも本当にあったことなのだ、この場所で。そう思うと、急に空気が密度を増したように感じます。

建物は倒壊していた。木材は燃えつき、石は崩れおち、ひとつひとつ積み重なって、低いなだらかな起伏ができていた。
「まるで月の表面みたいだったよ」と、ビリー・ピルグリムはいった。(『スローターハウス5』ハヤカワ文庫 P236)

壁の中央にビリーが小説の中でつぶやいた言葉がありました。

その後は上にあがり、メッセの中をいろいろ見せてもらいました。

「ここにはドアはあるけど、窓はないんだよ」
「なぜですか?」
「光が入ると温度が変わりやすいし、動物を入れておくだけだから光は必要ないと考えたんじゃないかな」
モダンな建物のように見えても、ここはやはり家畜を収容しておく建物だったのです。

ツアーが終り、ダニーロさんと一緒にトラムで市街地まで戻りました。ほんの数時間、過ごしただけなのに、ダニーロさんとは古くからの友人のように打ち解けていました。ツアーが楽しかったのは、彼のキャラクターによるものが大きかったと思います。この街に住んでいる人と知り合い、おしゃべりをしながら時間を過ごす。過去の話をし、現在の話をする。ずっと行ってみたかったドレスデンへの旅行は、彼のおかげで忘れがたいものとなりました。