魚のスープで朝ごはん

11Freundeに出ていたちょっと興味深い記事を適当に訳してみました。
書いているのは、元ジェフ市原でプレーしていたニュージーランド人のウィントン・ルーファーです。彼自身の日本での思い出や、アーセン・ベンゲルのこと、ルーファーの見た日本サッカーのことなどが書かれています。

コラムは『魚のスープで朝ごはん』というタイトルなんですが、魚のスープっていうのは、いりこだしやかつおだしの味噌汁のことかなー。

ああ、日本!フットボールの国で過ごした素晴らしい時間。

1995年、私がブレーメンでのキャリアを終えた頃、Jリーグは外国人部隊に支配されようとしていた。私のクラブ、ジェフ・ユナイテッド市原ではドイツのオルデネビッツとピエール・”リティ”・リトバルスキーがプレーしていた。
2人はとても人気があった。リティは日本のテレビでソーセージの宣伝にでていたくらいだ。

1992年、日本でプロリーグが始まった。リティの他に、ガリー・リネカーや、後に日本で代表監督にもなったジーコが最初のスターだった。あまり知られてはいないが、ドイツのブンデスリーガでは奥寺がケルン、ヘルタ、ヴェルダーでプレーし、234試合に出場している。彼はブンデスリーガの構造を取り入れようと試みた。そしてそれは成功したと言えるにちがいない。日本の大企業が投資し、それによって1994年には、多くのブラジル人がJリーグで賞賛されることとなった。なぜなら、日本人はテクニカルであることに良いサッカーの価値を置いたからである。彼らの中にはワールドカップの代表選手もいて、その同じ年にブラジルに優勝をもたらした。たくさんのスターがリーグを魅力あるものにし、それは私をも惹きつけた。

日本人はサッカー選手に対し、敬意をこめて接する。
私は今までにファンが厚かましい態度をとったところにあったことがない。いまやサッカーが、試合に45,000人も訪れるような人気のあるものとなっても、特に、現在フォルカー・フィンケが監督をしている浦和レッズであってもだ。試合に負けた後でも、スタジアムの雰囲気は、チームに対し、また対戦チームのファンに対して決して敵意のあるものにはならない。たくさんの女性がスタジアムを訪れる。選手はそこですぐに自分がロックスターのような気分になるのだ。

もちろん、日本の社会においては、文化や価値観念が大きな役割を演じる。サッカーにさえも、謙遜や勤勉さ、年長者への敬意というものが影響を与えている。それはトレーニングの中にすでに見ることができた。日本人のチームメートはピッチの上で監督の定めたものについてコメントをしたり、チャレンジをしたりはしない。ねたみや批判は決して口に出さない。スイスやドイツ、イングランドでは、私は全く別の経験をしてきた。

多くの外国人選手は全く違う文化に、はじめのうちは当然ながら問題を抱える。大部分は最初に大きなショックを受ける。それはまず朝食から始まる。ご飯と魚のスープだ。
あまり普通ではないのだが、健康にはいい。各クラブの助っ人たちの間では友好的な関係が保たれていた。試合前にはピッチであいさつを交わし、いろんなこと、特に食べ物について話をした。

ひとつおもしろいエピソードを覚えている。名古屋グランパスエイトとの試合前に、アーセン・ベンゲルがやってきて、私とおしゃべりをしたがった。彼はすぐ本題に入った。
『ウィントン、今日の私は、リスボンとクラウス・アロフスのことを考えるに違いないね。オットー(レーハーゲル)ときみはうまく私を出し抜いたね。いまだに夢でうなされるよ』

私は笑うしかなかった。もちろんそれは1992年のカップ・ウイナーズ・カップ決勝でモナコと(ブレーメンが)ポルトガルのリスボンで対戦したときのことを指している。彼はそのときモナコの監督だった。今はアーセナルの監督として、2年前の(CL決勝での)敗戦のために、いまだに眠れない夜を過ごしているのだろうか。
(注:このUEFA CWC決勝では現ヴェルダーのGM、クラウス・アロフスとルーファーがゴールをあげ、ベンゲルが監督をしていたモナコを2-0で下しています)

リーグの外国人監督は、当時の日本がサッカー途上国だったと考えるかもしれない。だがそれは真実ではない。私のプロ生活の中で、まさに日の昇る国のような、このようなプロフェッショナルな組織を経験したことはなかった。ジェフ・ユナイテッドにはすでにチームのめんどうを見る人たちがたくさんいた。練習場には持久力をつけるトレーナーから、物理療法のトレーナー。さらに外国人選手にはそれぞれ通訳と世話役がそばについていた。

若い層は強化されてきていた。2002年のワールドカップでは、世界のライバルに追いつくまでになったところを見ることができた。
ユース世代の育成は世界でも有数だと思う。FIFAの年間ランキングでは競合するカテゴリーにランクされている。現在、日本ユースのランクは、フランスの目の高さと同じくらいまで来ているだろう。これはすでに注目されている。確かに日本は多くを欧州からコピーしてきた。サッカーだけではなく、コピー・マスターである。だが彼らは成功が保証されていることだけをコピーするのだ。

日本との別れは思ったよりも早く訪れた。ジェフ・ユナイテッドで2年を過ごした後、クラブは他の外国人選手を試すことにしたのだ。私はもっと長くいたかったが、契約は更新されなかった。にもかかわらず、私はこの国とまだ関係を保っている。1年に1度、私は自分の教えているサッカーチームと共に日本に行き、そこで何試合かプレーする。それから昔の仲間をたずね、私の日本語に磨きをかけるのだ。単語も少しは覚えている。

ここで浮かぶ言葉は・・・いざさらば! (Auf Wiedersehen!原文は日本語)

ウィントン・ルーファーはWikipediaによると、現在はFIFAのフットボール・コミッティのメンバーで、他のメンバーにはペレやプラティ二、ベッケンバウアーなどがいます。また、人種差別反対に関するFIFAの大使も務めています。記事の中で言っている自分のサッカーチームというのは、ニュージーランドにあるアカデミーのことみたいですね。

11Freundeはドイツのサッカーとサッカー文化の雑誌で、たまーに日本のことが記事になります。
お金があれば定期購読したいくらい魅力的な雑誌です。

魚のスープで朝ごはん」への8件のフィードバック

  1. ルーファーという人物についてよく知らないんですけど(でもカップウィナーズカップを取った時のブレーメンに在籍していたということは、結構有名なフットボーラーなんでしょうね)、個人的にちょっと誉めすぎ・・・どころか誉め殺ししてんじゃないのかとすら思ってしまいますね(´ー`)。

    ってか、「いざさらば!」って・・・95年にそんな言葉流行ってましたっけ?(^^;)

  2. >El Marinoさん、
    ジェフでも2年間で25ゴールあげているみたいです。
    ニュージーランドではほんと伝説のような選手でしょうねえ。

    外国人選手にとっても、初期のJリーグでプレーするのは楽しかったんじゃないかなあ。
    ベンゲルも折に触れて、Jリーグでの経験が自分にとって素晴らしい財産となっているみたいなことを言ってますし、日本での生活は水の合う人にはきっと思い出深いものなんでしょうね。

    「いざ、さらば」は笑ったけど。(ご愛敬!)

  3. 自分の財布には、いまだに彼の「kiwi」というサインがうっすら残っています
    舞浜のグラウンドで練習の後に、彼を呼び止めてカードにサインをねだった事もありました

    ブレーメンから来た、という鳴り物にふさわしい活躍は出来なかったような気がしますか、そのひたむきで熱心プレイに自分は「ジェフらしさ」を感じて、とても惹きつけられました

    彼はゆったりとしたドリブルをしたり、全体的にシンプルなプレイでしたし、PKもコロコロだったり、鼻炎だったり、試合中にコンタクトを落としたり(笑)
    本文中にもあるようなテクニカルでスピーディなブラジル人とは、違ったので、あまり多くの人の印象には残っていないのかもしれません
    それでも得点やアシストで、チームでは柱の一本だったと思います
    (彼はオセアニア地区の20世紀最高のプレイヤーに選ばれているはずです)

    10年以上経った今も、こういったコメントを読むと、当時も今も自分と同じように、彼がジェフを愛してくれていたんだな、と感じられて、とてもうれしいです
    日本を訪れられているのですね、いつかもう一度お会いできたらうれしいです

    翻訳していただいて本当にありがとうございました

  4. あだ名がキュウイーでしたっけ? FWでよく点とってたのに清雲がボランチ起用しだしてからおかしくなったような。
    地味だけど活躍した選手。

  5. >moriyaさん、
    コメントありがとうございます。
    ルーファーのサインがまだお財布に残ってるんですか。素敵な宝物ですね。

    今でも外国人選手は魅力のある人たちが多いですが、初期のJに所属していた選手たちは特に個性的だった気がします。
    個人的にJリーグからちょっと距離を置いていた時期なので、わたしもあまりルーファーのことは記憶にないのですが、鼻炎だったり、コンタクトを落としたりという話は聞いたことがあって、ほほえましく感じてしまいます。

    最初にこの記事を読んだ時に、ルーファーからJリーグとジェフに対するすごくポジティブな気持ちが感じられて、私もとても嬉しくなりました。
    日本にもよく来ているようなので、またいつか会えるといいですね。

  6. >しんさん、
    コメントありがとうございます。
    キュウイーですね。典型的なニュージーランド人のあだ名ですねえ。
    2シーズンで25点ってけっこうな得点力だと思うんですが、やはり地味なイメージだったのでしょうか。

  7. こんにちは。ルーファーなんて懐かしい名前ですね。
    当時はブンデスリーガからJリーグへ来る選手は結構多かったですね。

  8. >reisさん、こんにちは。
    そう言われてみると、ブンデスから来ている選手って多かったですね。
    最近はほとんどいなくて、(ラフリッチ、ケネディくらい?)ちょっと寂しいです。

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