Stone Island: テラスからピッチサイドへ

南青山にストーンアイランドの旗艦店がオープンしたことを記念?して、2017年9月に11FreundeのWebに掲載されたコラムを訳してみます。過去にTwitterで内容を一部ツイートしたりしたのですが、後から探しにくいこともあり、追記してブログにまとめました。

”Wie Hooligans Stone Island entdeckten : Kurvenmode” (11Freunde 2017年9月)

夜も更けた頃、ブライテンライターは両手を高く上げ、左のこぶしをファンへ向けて、ホームでの勝利とチームが首位に立ったことへの喜びを表した。ハノーファーの成績以外に、一見すると驚くようなものがもう一つあった。コンパス。イタリアのデザイナーレーベル、ストーンアイランドの服を飾るバッジの一部だ。それは監督がこの夜、身に着けていたプルオーバーの左腕を占めていた。

ピッチサイドの監督が、ストーンアイランドを着た姿を見かけるようになったのは、つい最近の出来事だ。80年代の創業以来、レーベルの歴史は、英国において時に暴力も辞さなかったファン文化に、表面上は影響を受けた。ブライテンライターが、イブニングフォーマルにこのブランドを選んだ最初の監督だったわけではない。その位置には、例えば、ユルゲン・クロップ、ペップ・グアルディオラ、ルイス・エンリケといった面々があげられる。彼らは過去にも何度か、シンプルで記憶に残りやすいロゴを使っている。なぜ?

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キャットウォークからスタンドへ

1982年、イタリアのファッションデザイナー、マッシモ・オスティはレーベルを立ち上げた。全世界のサッカーファン(および監督)が、そこから何年もブランドの販売数量に影響を及ぼすとは、その当時は予想すらもできなかっただろう。しかし明らかに、彼は後に全ての一人一人に感謝することになる。80年代初頭、英国のフーリガンは、これとバーバリーやエレッセのようなブランドに手をつけることから始めた。前の世代のフーリガンと異なり、彼らはユニフォームやファングッズを身に着けることを拒否し、ストーンアイランドのようなファッションレーベルを好んだ。

込められた考えは単純だった。彼らは秩序の番人に、暴力的なファンとしての正体を早々に暴かれることを避けたかったのだ。さらに、独自のユニフォームと、それに伴う同属性という感覚も生み出した。望まれる効果として、同じ考えの人々を特定することが容易となり、同時にこれまでより人目にはつかなくなる。さらにフーリガンの観点から見ると、ストーンアイランドの衣類はタフネスさを物語っていた。多くのモデル、とりわけコートやジャケットは、ガラス粒子の素材を使い、布地そのものは危害は与えないが、敵対するグループとの闘争では有利に働いた。

フーリガンは同時に、イタリアで起こった『パニナロ』にもインスピレーションを受けている。パニナリーと呼ばれるサブカルチャーのメンバーは、政治的ではないと考えられており、サッカーを特に愛しているだとか、暴力的だという話もない。それだけに、よりファッションに興味を持っていた。パニナリーは、アメリカから流行の情報を得るだけではなく、自国の洋服も着ていた。特にマッシモ・オスティの製品を。まさに英国のサポーターが好んでいた物と同じだ。自分のチームがイタリアで試合をするたびに彼らは同行し、服を大英帝国へと持ち込んで、ホームスタンドで他の観客と一線を画していた。

テラスウェアの誕生

こうした拡大の末、『テラス(立ち席)ウェア』という言葉が生まれる。デザイナーファッションのフーリガン? いまや珍しいことではなくなった。彼らはまた『カジュアルズ』とも呼ばれていた。このスタイルがスクリーンでも見られるようになるには、長くはかからなかった。例えば、『The Firm』(1988年)や『フーリガン』(2005年/原題:Green Street Hooligans)などのイギリス映画で、俳優はバーバーリーやエレッセ、ストーンアイランドで登場した。必然的に、テラスウェアが若者の間でかなりの人気を得ていることを意味している。

ストーンアイランドがこの国のゴール裏に来て長い。しかしブランドはもう特定のファングループを色分けしたり、ましてや心情のためには用いられていない。サッカースタジアムの向こう側で、広く一般へと拡がっている。このような背景を前に、監督たちがためらいもなくイタリアのテキスタイルへと手を伸ばすことは、もう驚くべきことではなくなった。

それでもやはりこのレーベルは、この先もしっかりとファン文化の要素であり続ける。ただ伝統あるものとして。ストーンアイランドを着たファンがなくなることがあまりないように、コンパスを身に着けた監督が、ピッチサイドで喜ぶのはこれが最後ということもないだろう。リバプール、マンチェスター、あるいはハノーファーでは。

 

【参考文献】

Stone Island ブランド フィロソフィー
ロンドン・ファッションウィーク Day 1
サッチャー政権下の労働者階級〈カジュアルズ〉とフレッドペリー 01